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 西暦20XX年、ついに第二次関東大震災が発生。被害は予想を上回る規模で広がり、首都圏は破壊され、都市機能は完全に麻痺状態となった。
 東京住民の半数近くが地方へ一時疎開する中、凶悪犯罪、破壊活動、私兵集団の跋扈等、治安の悪化が進行。事態を深刻に受けとめた政府は突如、治安担当行政機関、『特務庁』の新設を発表、非常令を宣言した。
 一般警察以上の権限が与えられた特務庁の実働部隊、治安局は、やがて、諜報活動や実力行使が広く認められ、強大な権力を有した軍事秘密警察組織へと変貌を遂げていき、犯罪のみならず自由な市民の権利をも封殺していくに至ったのだった。
 人々は彼らをその標章から『海猫』と呼び反発したが、いつしかその声も弾圧と監視の目を恐れて、沈黙を余儀なくされていったのである。……


  身体測定の季節 a

 公園に横付けする形で、宅急便会社の輸送車が駐車していた。
 ここは新興の大団地群なので、その種の車両は珍しくなく、誰も気に留める様子はない。幼児の手を引いた母親たちも、散歩中に一休みして鳩に餌をやっている老夫婦も、みんな心地よい初夏の日差しの午後を楽しみ、満喫している。
 けれども彼らの一人でも、注意深くそのトラックを観察すれば何だか不審な点があるのに首をかしげざるをえないだろう。たとえば屋根の上にある、カモメをかたどったこの会社のロゴが、時折、僅かずつだが回転しているのは、どう考えたっておかしい。まるで怪電波を傍受しようとしているレーダーか、外の様子を探っている潜望鏡のようではないか。そして、もう少し勘のいい観察者ならば、そのカモメのデコイの目が、ほぼ一ヶ所に集中していることに気付くであろう。それはすぐ道を挟んだ向こうに建っている十数階建ての団地の、ある階の、ある一室を狙っているに違いなかった。
 トラックの中では──
 「クソッ、今日はまたヤケに遅いっスねえ」
 まさに潜望鏡といっていい、スコープを覗きながら吉崎が言った。彼は宅急便会社のユニホームを着ていたが、どこか不釣り合いな面構えと体付きをしている。
 「フン、おおかたサークル活動で時間を食ってんだろうさ」
 今日発売された少年漫画を読み耽っている御坊は、それから目を離さずに答えた。彼もまた同じ服装だった。
 「またあの辛気くさい老人ホームで人形劇かあ。何が面白いんでしょうねえ」
 吉崎はスコープを右に左に操作して様子を窺っている。
 「おい、吉崎。不謹慎なことを言うんじゃないよ。田野倉エリちゃんは尊い志をもって奉仕活動に汗を流しているんだから。高校二年生の若い身空で、まだまだ遊びたい盛りに、あえて自己犠牲の労働を己れに課している崇高な彼女をだな、そんじょそこらのスベタと一緒にするんじゃありませんよ」
 「またぁ、先輩、心にもないことを言っちゃって。汗流してるんならいいけど、部長の男子生徒と股おっぴろげてマン汁垂らしてたら、ただじゃおきませんよ、僕は」
 「やだね、下品だね、とても海猫のエリート部員とは思えないね!」
 御坊は漫画を閉じて分厚いそれで吉崎のパンチパーマの頭をポカリと叩いた。立ち上がって大きくノビを、あくびをしている御坊の頭は角刈りだ。二人とも武道で鍛えあげられた頑健な肉体をしていた。
 「ったく──」吉崎は不平タラタラの表情だった。「治安局女子教育課のどこがエリートなんスか? 第四課なんて、今頃、コマンドとドンパチ楽しくやってるはずですよ。それに引き替え、こっちはひねもすお尻の青い女子高生の張りこみ。退屈なんだなあ」
 コマンドとは秘密警察『海猫』の打倒をめざす非合法武闘組織の通称だ。若い局員が派手な任務に憧れるのは仕方のない話である。第四課がその殲滅作戦の最前線に立つ花形とすれば、女子教育課はその名の示すとおり、女子供相手の管理監督係りといったところ。どうしたって影が薄い。
 「そうだなあ、お前、ここに配属された途端に退屈な張りこみばかり当っちまったものなあ。いくら田野倉エリが、コマンドの一員である田野倉マリの妹だって言ったって、第四課のスリルに比べれば、眠くなるよな」
 上官の御坊は苦笑しながら不憫な部下を見やった。
 「ま、それはいいスけどね。問題は我々が無駄足をしてるんじゃないか、っちゅうことですよ。田野倉マリと言えば、某女子大で幹部やってるコマンドのバリバリの兵隊でしょう。そんなのがうかつに実の妹に連絡とったりするでしょうかね。しないと思うなあ。僕は」
 どうやらこいつは五月病だな、と御坊は思った。新人によくあるパターンである。刺戟を求めて海猫に入隊したが、夢と現実の違いに失望が鬱積してきているのだろう。
 (こりゃ、少しアメをしゃぶらせてやらにゃ、いかんかもな)
 新人教育も大事な上官の役目である。押さえているばかりでは最近の若者はついてこないのだ。
 「フフフ。吉崎、女子教育課だってそう捨てたもんじゃないんだぞ。よし、今日はひとつ、我が課の奥の手を見せてやろうじゃないの」
 「奥の手……と言いますと?」
 スコープから顔をあげた吉崎が不審そうな表情になる。
 「いいからいいから。しっかり田野倉エリを張りなさい。俺はちょっと準備をしておこう」
 御坊はパソコンだの盗聴用のオープンリールテープレコーダーだの、そういった精密機器がぎっしり埋まったこのトラック内部の隅に行ってゴソゴソとなにやら始め出した。吉崎は上官の意図がわからず首を捻っていたが、再びスコープに取りついた。
 五分後、吉崎が田野倉エリの帰宅を告げた。
 「どれ、モニターに出せ」
 御坊の命令どおり、モニター画面に映像が映しだされる。一人の若い娘がバス停からアパートへ向って闊歩していた。洗い晒しのジーンズにクロの半袖のTシャツだ。そのジーンズのポケットに両手を差し入れ、若々しい足取り。肩までよくのびた黒髪が風になびいている。スラリとした身長をもち、スレンダーなプロポーション。モデルの印象といってもいいだろう。とても十七歳とは思えない身体をしている。胸のふくらみだってかなりのものだ。ジーンズをパンパンに張りつめさせているお尻の形も悪くない。昨今の日本の女子の体位は西洋人のそれにほとんど凌駕しているのだ。
 一筋の黒髪が瓜実顔を横切っている。美人だ。濃い眉、大きな瞳、口もやや大きめ、鼻はツンと高い。抜けるように白い、化粧っ気のない肌がなければ、ハーフと見間違えそうである。大人びた顔。利発な性格がそこにじゅうぶんに現れている。
 「相変わらず、生意気そうな面しやがってからに」と吉崎。
 可愛さ余って憎さ百倍、こんなに魅力的な娘がよりによって自分たちに牙を向けるコマンドを姉にもち、そして思想調査の結果、ほぼ百パーセントの確率で、この妹も過激な道に追随するというのだから、憧れのエリちゃんは同時に芽のうちに摘み取っておくべき危険な花なのだった。
 「ホント。これが十七歳なんてとても信じられないわな」御坊は宅急便会社の帽子をかぶり直した。「あの色気。まず処女とは思えない。女の早熟は社会の敵。原因究明と正しい道への善導こそ海猫、女子教育課の大切な任務である」
 「いいんですか。泳がせておいて姉を捕まえるんじゃなかったんですか」
 そう言う吉崎も御坊にならってさっさと帽子をつけている。なんだかわからないが、面白そうだ。こんな箱の中で一日中くすぶっているよりはマシだろう。
 モニター画面の田野倉エリは小走りに団地の入り口へと消えていった。彼女は姉と二人暮し。両親はすでに他界している。姉も地下に潜っているから、現在は一人で生活しているのだ。
 「これをもて」彼は吉崎に段ボールの箱を手渡した。そして自分もひとつ抱える。
 「なんスか?」
 「開けてびっくりたまて箱さ。さ、俺につづけ──」御坊はトラックから下りた。
 「待ってくださいよ、先輩」吉崎も慌てて飛び降りる。
 二人は女子高生の後を追い、建物へ入っていった。
 田野倉エリの部屋は七階のいちばん端。非常階段の横である。いい場所だ。大声を出しても気付かれにくいだろう。もっとも、調べによると彼女の隣の部屋の住人は共働きの子なし夫婦なので昼間はいないし、最近の団地の防音設備は完璧だから、中へ入ってしまえばこっちのものといって良かった。
 「ドキドキしますね」吉崎は昂奮気味だ。
 「しっ。配送のあんちゃんがニヤニヤしてたら怪しまれるだろうが」
 「だって、あのエリの部屋に入れるんだから。ククク」
 (入るだけじゃないぞ、吉崎。いいもん、見せてやっからな。股間をギュッと締めとけよ)御坊はまだ口元をだらしなくしている吉崎のケツを抓ってあごをしゃくった。
 『田野倉』の表札のかかったドアの前まで来ると、吉崎はしかつめ顔に戻り、チャイムを押した。一度では、我らのアイドルは反応を示さず、二度三度と押しつづける。ようやくインターホンから声が聴こえた。
 「どなた?」
 高校生とは思えない沈んだ、暗い感じのする声だ。はなから疑っている警戒一色の声音である。さすがにコマンドの姉をもつ十七歳。来訪者には神経を尖らせているのだろう。
 「こんにちは。宅急便です」こちらは海猫の局員とはかけはなれた軽薄な高いトーン。「お届け物をおもちしました」
 「はあ……」警戒感がやや薄れたのか、エリは玄関に駆けだそうとする気配。しかし……。「どこからの荷物でしょうか?」
 なるほどそこまで確認しておけば確実だろう。吉崎は表情にチッと舌打ちの色を浮かべて、御坊に助けを求めた。御坊はさっと吉崎に代わり、名演技を披露する。
 「えーと、ちょっとお待ちください──あ、そうそう神奈川の佐藤静江様から田野倉エリ様へ、ということですが」
 佐藤静江とは田野倉姉妹の遠縁の筋にあたる人物で、交流は少ないが、贈り物があってもおかしくない。そのへんは抜かりのない御坊である。
 「ちょっとお待ちください」
 エリはすっかり信頼したらしく、扉に足音を近付けてくる。
 いよいよだ、期待に胸をふくらませた吉崎の顔。御坊も、新人とはまた違った昂揚感を覚える。こんな、腹の底がスーッとするような気分こそ海猫局員の醍醐味に違いない。
 チェーンロックが外される。鍵が回され、扉が少し開いた。中からあの美少女のキリリとした顔が覗いた。黒髪が一筋、ハラリと垂れ落ちた。
 まず吉崎が身体を狭い隙間から滑りこませるように玄関に侵入する。そして御坊もつづいて上がりこみ、素早く扉を閉めた。鍵までかけおろす。
 エリは驚愕に一瞬、声もでなかったが、頭の回転の早さを見せ付けた。すぐに事態を飲みこんだらしい。
 「誰なのっ?」厳しい声で訊ねたが、二人の男の正体はもうわかっている。
 「なかなかいい部屋じゃないか」
 吉崎は土足のまま、エリを押し退けるように部屋に上がりこみ、無遠慮な視線をうろつかせる。
 「海猫ね。令状はあるの?」
 大男の闖入にも取り乱さずに、エリは腕組みをして気丈な態度だ。
 「まあ、そう突っ張るなって」
 御坊も土足。彼女の背後から背中をどんと突いて部屋の奥へと追い立てていく。
 「──ここは私の部屋よ。令状がないんならすぐに出ていって。そうしなければ大声、出すわ」
 「私の部屋? お嬢さん、嘘を言ってはいけませんよ。正確にはあなたとお姉さんの部屋だ。民衆の敵、コマンドのお姉さんのね」
 「……」エリの顔には脂汗が浮いている。顔色も蒼い。やはり高校生なのだ。
 「それに言葉遣いがなっていませんよ。目上の人間に対しては敬語を使わなくては。学校で習っているでしょう」
 「あなたたち、何をしにきたの。姉に用ならいませんよ。この一ヵ月不在だから。どこにいるかも知らないわ」
 「お前、体臭が濃いな」
 突如、吉崎がエリの肩や背中に鼻を近付けてクンクンとやりだした。
 「えっ?」
 「え、じゃない。濃いんだよ、体臭が。香水つけたほうがいいぞ。とくにこれから夏にかけてはよ」
 吉崎はそればかりか、図々しく女子高生の半袖からのびているほっそりとした二の腕を掴むと、やおら上にもちあげた。そしてやや汗ばんでいる腋の下の臭いを嗅ごうとする。
 「やめてっ。痴漢!」
 エリは嫌悪を剥き出しにした表情で腕を振りほどき、黒い眉を吊り上げる。
 「キミキミ、やめたまえ。お嬢さんは生理が終わったばかりだから、ホルモンがドクドクと沸きだしているんだよ。体臭が濃くなるのも当然じゃないか」
 御坊の言葉にエリはハッとした顔だ。なぜそれを知っているのだろう。たしかに二三日前、彼女の生理は終わったばかりである。
 「驚くには及ばない。エリ君のことなら何でも知っているんだ」
 と、御坊は部屋のなかに小さなバックを見付けると、さっと奪いとった。
 「やめてっ」エリは叫び、取り替えそうと手を伸ばしたが、吉崎が遮った。
 バッグの中身を御坊はテーブルの上に巻き散らす。そして生理用具を摘み出した。
 「ほらね。あと二三枚しか残っていない。いつもより、今月は少し長めだったようだね。本来ならもっと多めに残るはずなのに」
 ヘラヘラ笑う中年男はナプキンをエリの目の前でヒラつかせる。エリは驚きのあまり声もでなかった。
 「バーカ。なんて顔してやがる。俺たち治安局女子教育課にかかればな、なんでもお見通しなんだよ」
 吉崎はエリの黒髪を跳ねあげて、露出した可愛らしい耳に言うのである。
 「税金で痴漢を養っているんだから、世も末だわ」
 エリはふと我にかえり、冷笑を浮かべた。驚いてはいるが怖じ気づいてはいないのだ。見上げた十七歳である。
 「ケッ、そのへらず口も、牝犬の姉から教えられたのか」
 吉崎はカッときてエリの肩先をド突いた。
 「姉は牝犬じゃないわよ。犬はそっちの方でしょう」
 「なんだとォ、てめえ!」吉崎はエリの胸ぐらを掴み、グラグラと揺さ振った。