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   起

 西暦20XX年、ついに第二次関東大震災が発生! 首都圏は壊滅。都市機能は完全に麻痺状態となった。住民の半数近くが地方へ疎開する中、人心は荒廃し、犯罪が横行、治安の悪化は極限状態に達した。 事態を憂慮した政府は突如、非常令を宣言、治安担当行政機関『特務庁』の新設を発表した。 特務庁の実働部隊、治安局(通称海猫)は次々に強権を発動。秩序の回復と安定を達成し市民の一定の支持をえたものの、同時に一般警察以上の権限を獲得していき、やがて強大な権力を有した秘密警察組織へと変貌を遂げていったのである。


   女子大社会科学研究会 a

 首都圏のR県に位置する、とある丘陵を切り開いて仙花女子大学のキャンパスは広がっていた。世界的に著名な建築家に依頼して設計された超近代的な校舎が、日本の典型的な田園風景に唐突に出現している。とくに夜になるとその印象は際立ってくる。校舎本棟や、教授棟、それに学生棟──尖塔や螺旋構造を大胆に取り入れた校舎が黒いシルエットとしてそびえ建ち、おぼろげな月の明かりに浮かんでは消えして、蛙や夏の虫の音をBGMにしているのだ。
 もとはといえば青山の一等地に本拠を構えていた仙女大であるが、震災後、劣化した都心の環境に促され、他の多くの大学と同様、移転に踏み切ったのである。が、都会の利便性になれた学生たちには評判はいいとは言えない。とにかく午後五時を過ぎればただでさえ少ない商店はほとんど閉まってしまうから、学生たちはサークル活動もそこそこに家路に着かねばならなかった。
 時刻が九時を過ぎようとしているこの時間になれば、学生の姿はまったくといっていいほど見られない。東京へ向う最終電車はそろそろ駅を出る頃だし、車を持っている学生ならとっくの昔に帰宅しているか恋人のところへ到着しているだろう。教授棟で明かりがついているのも二三の部屋にすぎず、まして学生棟に明かりなどは──いや、明かりが漏れている部屋がひとつだけあった。西側の七階にある部屋で、カーテンは締め切られているが角度によっては照明がついているのが見て取れる。大学関係者ならばその部屋が文科系サークルに割り当てられた一室であるのがすぐにわかるに違いない。
 そして大学関係者でなくとも、その部屋で誰が、何をしているか、逐一掌握している人間たちがいたのだ。
 『特務庁治安局第四課』
 特務庁直属の、いわゆる秘密警察で、通称『海猫』のメンバーである。私服の彼らは闇に紛れ、すでに学生棟の出入口を固めていた。この蒸し暑い熱帯夜に律儀にスーツを決め込んだ者もいれば、派手なアロハシャツを着て、似合わないパナマ帽をかぶっている者もいる。服装はそれぞれだが、一様なのは耳に交信用のイヤホンを入れているのと、手にサイレンサー付きの自動小銃を持っているところである。
 「課長、すべて完了しました。踏み込みますか、どうぞ──」
 学生棟正面入り口を照らしている白熱灯の、影の部分に張りついていた男が労務者風のジャンパーの襟に付いている超小型マイクにひそひそと話し掛けた。
 一瞬の間ののち、
 「了解──」
 するとその声を待っていたかのように、十数人の男たちが淀みなく学生棟に忍び込んでいく。彼らは三つのグループに分れた。ひとつはエレベターホールに向い、もうひとつは階段を駆け上がり、最後のひとつが非常階段を上りはじめる。
 どのグループも目指すは七階のあの一室だ。そこには国家にたてをつく反抗分子ども、公安秩序を乱すゲリラコマンドの卵、仙女大社会科学研究会に所属する痩せっぽちの女子大生たちが不穏な密会に集っているはずなのだった。
 社会科学研究会部室──。
 ここには五人の若い女性たちがいて話に熱中している。椅子に座ったり机に腰掛けたり、あるいは立ったままだったりざっくばらんに話し合いは続いている。正確に言えば、四人が一人の話しに聞き入り、ときおり質問をするといった具合のようだった。
 学生棟は八時半をすぎると、冷房が切られる規則になっている。扉も窓も締め放しになっているので、部室のなかはサウナ風呂のようだったが、討論が終わる気配などなかった。
 「だけど……」
 と、言葉を返したのは社会科学研究会の部長で四回生の高橋ミカだった。彼女は椅子の背を胸に当てるように逆さに座り、講師格の女に対峙している。美しいロングヘアをセンターパートにして胸や背中まで垂らしている。その芳香匂い立つような黒髪に包まれたミカのハーフのように彫りの深い美貌は室温に赫く上気してすっと上向きの鼻やまだ少女の面影も残るピチピチとした頬、尖るほどでないなだらかなラインの顎に汗が浮かんでいる。が、その大きなの瞳にはきらきらとした情熱が輝き、理想を信じる若さが満ちあふれていた。
 白の半袖のブラウスからのびた細い二の腕を組んで、洗い晒しのジーンズをはいたスラリとした下肢を踏張り、ミカは言葉を続ける。
 「……そういう強攻策で、いったいどの程度の国民の支持をえられるのかしら」
 「もうそんなことを言っている段階ではない、というのが私たちが下した結論よ」
 ミカの正面の女、学生よりいくらか年長の女がりんとした声で言った。髪をすっきりとしたショートカットにまとめている。彼女もまた本来の色白の肌を桃に染めて、小鼻の脇やブルーのTシャツから見える鎖骨の浮き上がりに玉の汗を光らせていた。切れ長の目にはどんなものにも屈しない意志の強さを湛えてい、ややふくよかに肉のついた丸い鼻はアイドルタレントのように愛らしい。けれどもぽっちりした唇の脇に色っぽいほくろがあったり、Tシャツの胸のふくらみや白のスラックスのはち切れそうな臀部には、学生にない女らしさが感じられる。
 佐藤ゆり子はこの仙花女子大を三年前に中退している。ミカたちと同じように社会科学研究会の一員として活動し、ゲリラコマンドにのめり込んで地下に潜ったのだ。今はまだ学生たちのオルグを担当して飛び回っているが、将来を嘱望されている幹部候補生の一人らしい。
 「特務庁の跳梁が目に余るのはあなた方も認めるでしょう」
 ゆり子は四人を見回した。
 「その犯罪行為は太平洋戦争中の特高を越えているわ。市民派の誘拐、拷問、洗脳、盗聴、撹乱、デマゴギー。それはもうひどいものよ。私たちのようなゲリラが彼らの手に落ちれば、裁判なしで惨殺されるのがオチね。とくに女は目もあてられないわ。海猫の局長は変態性欲者なんだからお話にならない……」
 ゆり子は失笑気味に口もとを歪める。そういえばこの女たちは皆一様に化粧っ気がなかった。そしてほとんどがノーブラではないかと思われる。ミカなどは白いブラウスが汗に透けてきて乳頭の色かたちがうっすらと覗けるくらいだ。もっともこの女の乳輪は白人女や妊婦に匹敵するほど肥大していて、また日本女性特有の濃い色素の沈着を持っているから特別目立つのだろう。さらに彼女たちに共通するのはときおり半袖の口からかいま見える未処理の腋毛である。だからどうした、と彼女たちは言いたいのだろう。自然に生えてくるものを毎朝時間をかけて剃り上げるなんて、おしゃれの名のもとに男に迎合する遅れた意識の慣習にすぎまい──通学途中の満員電車の中で、吊り革に掴まる女子大生の、酸っぱそうな脂汗を含んだ腋毛を、びくつきながら盗み見る哀れな男たちを彼女たちは軽蔑するように見返してやるのだ。それが彼女たちの主張であり流行でもあるらしい。
 「海猫の局長、野辺地大洋ね」
 ミカが言う。彼女はどうやら毛深い体質らしく、黒々とした腋毛がもじゃもじゃという感じで密生している。ひょっとすると本当に西洋人種の血が何パーセントか混じっているのかもしれない。
 「いつ聞いても派手な名前よね」
 誰かがクスッと笑った。
 「大洋の手下だから海猫ってわけなんでしょう。うまく付けたわね」
 緊張していた雰囲気がふっと和んだ。
 「ひどいものよ。あの男──」
 ゆり子は虚空を見つめるようにある思いに沈む。
 「知っているでしょう。この間もうちの女性幹部が奴らに捕まって……」
 その事件はもちろんミカたちの胸にも焼き付いている。ゲリラコマンドの女性幹部、山上朋子が海猫に拉致され、一週間後、東京湾に素巻きにされて浮かんでいるのを発見されたのだ。それは酷たらしい死体で、耳や鼻を削がれ、乳房を抉りとられていた。全身に生々しい拷問の疵がみられ、体内からは複数の男の精液が検出されもした。特務庁治安局では一時拘束して取り調べた事実は認めたものの証拠不十分で釈放、その後の消息は関知していない旨の見解を発表したのだった。
 「たしかにトドメを刺した実行犯は彼らではないわね」
 ゆり子は口惜しそうに唇を噛む。
 「玉枝一家……」
 誰ともなく口にした玉枝一家とは、ようするに民間の私刑集団というところか。表向き在来型の暴力団とされているものの、実態は海猫の手の届かないところを補完するテロリストグループと思えばいい。とりあえず法律にのっとって行動しなければならない海猫と違い、玉枝一家は無法の法をもって暴力行為に及ぶものだから、狂暴さは格別だ。情報は海猫から筒抜けだし、法的な後始末も海猫がしてくれる。その幹部に特務庁OBが入っているところからみても、海猫の別働隊といっても過言ではないだろう。山上朋子もきっと散々陵辱された後、海猫の収容所から放り出されたところを玉枝一家が誘拐して凶行に及んだのだと思われる。すべて出来合いの犯罪なのだ。
 「いったい日本はどうなるのかしら……」
 社会科学研究会の部員たちは暗澹たる思いに胸が締め付けられる。
 「だからこそ──」と、佐藤ゆり子は声を高めて、拳を振り上げた。
 「だからこそ、闘わねばならないのよ。我々は国民の自由と平和を守るために、時として非合法な戦術を使ってでも奴らの粉砕を目指さなければならないのよ。たじろいでばかりでは奴らの思う壷だわ、そうでしょう?」
 異論のある女子大生はいない。ゲリラコマンドの武闘手段にやや懐疑的であった高橋ミカも今は意を決したように眦を吊り上げている。エキゾチックな美貌はますます冴え渡り、知的でしかも激情を内に秘めたこの女の人間的な美しさが、まさに華開いたようにカッと際立ちはじめていた。
 その時、コンコンと軽いノックが部室のドアを叩いた。一瞬、牝鹿たちの身体に緊張が走り貌から血の気が引いていく。ドアのガラス窓はカーテンで仕切っているので、外は見えない。
 「すんません。もうそろそろ校舎を閉鎖しなきゃならんのですがね」
 聞き覚えのある用務員の声だ。東南アジア出身の移民で、独特のイントネーションがどこか親しみやすさを与える。ほっと安堵の息をする女たち。
 「はい、わかりました、もうすぐ出ていきます──」
 部長であるミカが答えた。
 「あっ、部長さん、これ食わんかい。友達からもらったマンゴーだがね」
 苦笑するミカ。
 「ミカは彼に惚れられているのよ」
 クスクス笑う部員たち。ゆり子も微笑んでいる。しょうがないわねぇと、ミカはガラス窓のカーテンから外を覗く。人のよさそうな初老の用務員が褐色の肌に白い歯をくっきりと浮かび上がらせて笑っている。手に持った篭に新鮮そうなマンゴーが何個かのっていた。他には誰もいないようである。
 ミカはドアの鍵を開けた。
 ところがそこには用務員の姿がばったり消えている。
 「あら、どうした……」
 ミカは身体を廊下に乗り出し、辺りを見回して絶句した。蒸し暑さにほだされた彼女の貌が驚愕に蒼ざめていった。大きな瞳がさらに限界まで見開かれ、粒粒の汗がいっぱい浮いている鼻の下が見えなくなるほど口を開いて、なにかを叫ぼうとするが、まったく声にならない。彼女の視線のそこには屈強の男たちが銃をこちらに向けて、密集しているではないか。
 「痩せっぽちの女子大生さん、若い娘がはしたなく大口をあけちゃいかんね。赫い喉ちんこまで丸見えだよ。そんなヌケた貌は彼氏のあそこにしゃぶりつく時だけにするんだな」
 先頭のアロハの男がウインクした。
 「海猫……手、手入れよっ!」
 やっと叫ぶと、ミカは勢いよく扉を閉めようとする。