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  公開尻叩きなんて……

 「生理なんて関係ありませんわっ」千夏は憤然として否定した。「そして靖先生の供述は何から何まで嘘っぱちであると言わねばなりません」
 「ほほう。彼の股間をキックした事実はないというのだね?」
 「いえ、それは……つまり身を守るための正当防衛ということです。非難されるべきは靖先生の行動にあるのです」
 千夏は顛末の一部始終を彼らに話して聞かせた。
 山川は腕を組みながら白々しく呟いた。
 「──つまり二人の言うことは百八十度、違うってことだなあ。ねえ、主任」
 「そうですな。しかし私はいまひとつ腑に落ちませんね。あの靖先生が──柔道三段ですよ──吉沢先生のようなか弱い女性にやられますかね」
 「まあ、それはもっともな疑問ですねえ。吉沢先生、そこのところもう少し詳しくお願いできませんか」
 「ですから、組み伏せられまして、もう絶体絶命というところに追い込まれたので……」
 「顔がヌッと近付いてきたんですな」
 山川は目尻を下げて、身を乗り出してくる。今日はまた一段と額のテリがギトギトしている。
 「そ、そうですわ。だからこれは他に手はないということで、いったん受け入れるような振りをして、油断を誘ったんです」
 「キスさせたんだね?」
 「ええ……」まるで自分が悪いように、千夏は目を伏せた。
 「やっぱり誘惑したわけだな。靖先生の供述に間違いはないじゃないか」
 鈴木がたたみかけるのを、山川が制した。
 「鈴木主任。それはちと酷というものでしょう。貞操を守るためには唇くらい奪われても仕方がない、と判断したのはこの状況ではやむをえないと思いますよ。吉沢先生だって処女じゃないんだから、キスくらいはどーってことないでしょう」
 これでは千夏をかばっているのか、皮肉っているのかわからない。
 「──で、靖先生はものの見事に引っ掛かって、隙を見せたんですな?」
 山川の問いに千夏は頷いた。
 「ちょっと出来すぎてませんか、教頭」鈴木は言った。「こういっちゃなんだが、吉沢先生にあの硬骨漢の靖先生をたぶらかすだけの性的な魅力があるとはとても思えません」
 「主任、吉沢先生をブスだと言いたいのかね?」
 「さあね。ブスとまではいかなくとも罪に問われる危険を冒してまでモノにしたい女性ではないでしょう。目は細いし、オッパイだって小さいし」
 鈴木と山川はしげしげと千夏を凝視するのである。
 「……あなたたち、いったいここに何をしにきたのですかっ」
 千夏はカッときてテーブルを叩いた。
 「私を侮辱するんだったら、もう帰ってください!」
 「どうやら自分を美人だとうぬぼれているらしい」二人は嘲笑した。
 「違いますっ。私はただ……」
 「いやいや吉沢先生、我々は可能性を考えているだけですよ。事は人の一生を左右する重大な話ですからな。どちらの言い分に、より信憑性があるか、あらゆる角度から考察してみなければならない。そうでしょう」
 山川はピタピタと正論をついてくる。
 「いっそのこと、その時の様子をここでやってもらってはどうです?」
 「お、実況検分か。それもひとつの手だな。もし吉沢先生が真実を語っているのであれば、よりリアルに再現できるわけだし、吉沢先生の性的魅力がどれほどのものなのか、我々が判定できる」
 「馬鹿馬鹿しい」
 千夏は呆れて吐き捨てた。
 「どうしてです? 警察では当たり前の方法でしょう。それともできない理由でもあるんですか。というより、思い出すような事実がそもそもなかったんじゃないんですか?」
 「あなたたちは、ただ、淫らな興味を満足させるために強要しているだけだわ。ここで、私に引っ繰り返ってキスをねだるところをやってみせろというんですか!」
 「その時のあなたの表情がどれほどエロチックかで、話の真偽が決まるんです。せいぜい腕によりをかけて、挑発してみせてくださいよ」
 山川はそう言うと、千夏の腕を掴んだ。
 「な、何をするんですっ」
 驚く千夏。しかし鈴木も立ち上がり、もう片方の腕を抱えた。
 「寛治先生!」
 立ち上がらされた千夏は二人の腕のなかで藻掻きながら寛治に救いを求めた。老人はそれまで腕組みをしてじっと聞いていたが、千夏に促されてやおら口を開いた。
 「三人とも座れ!」
 「しかし、寛治先生……」
 山川は弁解がましく寛治の機嫌をとろうとする。
 「座れといったのがわからんのかぁ」
 寛治は七十代とは思えない素早さで山川と鈴木を平手打ちした。二人はヒィーッと悲鳴を発して、頬を押さえながら椅子に戻った。
 「いい歳をした教師が盛りのついた犬みたいな態度をして、どうするんじゃ。反省せぃ」
 「ご、誤解ですよ」
 二人はブツブツと反論しようとしたが、寛治が再び手を振りあげたので、すっかり怖じけづき口をつぐんだ。
 千夏は内心、喝采を叫んでいた。最近ではもっとも胸のすく思いであった。これまでの体罰否定論を撤回してもいい気分である。それが彼らの巧妙な寸劇であるとは露知らず、縮みあがっている山川と鈴木を勝ち誇ったようにみやりながら、彼女もまた椅子に座り直した。
 「事は重大なのじゃ」と寛治は言った。「むろん無能な教師如きの名誉など、なんぼのものではない。重大なのは神聖な学びやの場で、男女の教師が理由はどうあれ乳繰りあい、痴話喧嘩にも劣る不始末をしでかしたというのが問題なのじゃ。生徒に対してどんなに恥ずべき行為であるか、胸に手を当てて考えてみるのじゃ」
 神妙な顔つきになる三人の教師。
 「反省しておりますわ」
 千夏は頭を下げた。ここは寛治にあわせておくのが一番だと判断したからだ。さっきの出来事で、彼に対する信頼は揺るぎないものになってしまっている。
 「そういう認識のうえで話し合いを元に戻してはどうかな」
 三人に異論はなかった。
 「ここまでの両者の言い分を聞いておるとじゃ。どちらもそれなりの説得力をもっておるように思われる」
 千夏が何かいいかけるのを寛治は押し止めて、つづける。
 「なるほどこれを専門家に、つまるところ司法当局に届けて厳密に探索してもらえば、なんらかの結論が出るやもしれない。しかしそれがいったい栄宮学園に通う生徒たちにどんな利益をもたらすか、考えてみろ。まったく、無、じゃ。いや、きっとマイナスに働くじゃろう。ただでさえ、受験を控えた三年生は横内まゆみの退学事件によって動揺をきたしたばかりでないのか。このうえさらに、教師たちの稚気に等しい不祥事が明るみにで、学内に制服警察官が土足で踏み込んでくるようなことにでもなれば、パニック状態になるのは必定。彼らの無垢な精神に大きな傷跡が残るじゃろう。違うかね、教頭」
 「ご明察、感服いたしました」
 深々と頭を下げる山川。
 「あんたはどうじゃ? 吉沢先生」
 「……その通りだと思いますわ……」
 千夏は寛治の意図を探るように見つめた。きっと何かいい考えがあるのだろう。
 「だがしかし、この問題を公にせず、ウヤムヤにしていいわけでもあるまい。かといって、さっきもいったように素人が探偵をして判断を下すには難しすぎる。ではどうするか」
 「どうします?」
 鈴木も山川も身を乗り出した。
 「喧嘩両成敗じゃよ。ホッホッホ」
 寛治の奇妙な笑い声が室内に虚ろに響いた。
 「宮城靖と吉沢千夏が同じ罰を受けて、そのあとはすべてを水に流すのじゃ」


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