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1-7-7 桃枝 vs BCGパートナーズ 圭 vs 電波男

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モモエ探偵社御中
私、志方和美が貴社へ依頼した案件は過日を持って円満解決に至りました。
つきましては継続しているすべての調査を速やかに終了してください。
精算・支払いについては当初の契約通りにお願いします。
貴社の今後の活躍をお祈りしております。
志方和美
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以上のような内容証明付き郵便が探偵社のビルに送りつけられてきたのが、あの日から二週間後の昨日である。
モモエ探偵社所長、児島桃枝が、志方和美からの依頼に関わって約ひと月あまり。
難しい案件に格闘する毎日に呆気なく終止符が打たれたわけだ。
桃枝が声を失ったのも当然だった。
一週間前の経過報告でも、R高校陸上部の活動に不定期で顔を出すことが判明した娘、有希の現況について分析や感想を伝え、今後の方針を語り合ったばかりではないか。
そうなのだ。
志方有希はやはり高校教員の職を捨ててはいなかった。以前ほどではないにせよ、顔を出した日には部活動の最初から最後まで立ち会っているようである。ただし内偵を警戒して、もう駐車場等の公共部分で一人になることはなかった。キムラ・タケジロウの派手な送迎もなく、公道のジョギングもしない。尾行を巻くように一人で登校し、一人で下校する。
だから現時点では新しい居住先も調査できていなかったが、和美はそれについて悲観せずに前向きに捉えていた。とくに有希が元気に姿を現したことを喜び、夏休みが終わり新しい学期が始まれば、もっとチャンスが広がるはずだと期待を口にした。
依然として公営ギャンブルの施設にも場末の遊技場にも姿を現さないキムラの行方とともに、引き続き、探偵社のこれまで通りの仕事を希望すると、固い信頼を何度も表明していたのである。
その和美がこちらに相談もなく、手の平を返したように調査打ち切り通告とは・・・。
そういえば、三日前の報告の電話には呼出音が続くだけで応答がなかった。
この時期、定期的なそれは二三日ごとと決めており、和美はいつも、はやる感情を抑える感じで電話に応じてきた。
彼女が住民運動に参加し、多忙をきわめていると説明を受けていた桃枝は、自宅の電話はもとより、携帯にもつながらない状況も、一度だけならそれほど異変だとは認識していなかった。
しかしこうなってしまえば、この空白も謎めいて浮かびあがってこよう。
郵便の筆跡が和美のものかどうか、精密に鑑定している暇はなかったが、探偵社で保管している依頼書等に残っていた彼女の直筆と比較して、大きな差があるようには思われなかった。
すると調査打ち切り通告は法的に有効ということになってしまう。
探偵業もビジネスだ。
クライアントの正式な決定を無視してタダ働きするわけにはいかない。
桃枝は唇を噛みながら文面を読み返す。
『案件は過日を持って円満解決に至りました』
たしかにそう書いてあるが、二週間前のあの志方有希の姿からして、これほどの短期間で解決できるとは到底想像できないだろう。百歩譲ってそうだったとすると、志方和美はキムラ・タケジロウに会った公算が高くなる。有希の心身を著しく拘束しているあのスケコマシと交渉せずに彼女を奪回できるはずもない。
自分の忠告にあれほど賛同していた和美なのだが・・・。
桃枝は首を横に振った。
『円満に』などとても無理だ。
探偵歴十数年の経験と想像力では、何らかの不当な介入なくして、志方和美の豹変を説明できない。
とりあえず桃枝は、所長の職権でこの案件の終了を先送りし、和美との接触と聴取を試みることにした。
今日、彼女自ら志方家へ向ったのである。

所在調査の常道は夜間の偵察である。
窓に明かりがついているのであれば、生活がそこにある可能性が高くなる。単純だが最もたしかなポイントだ。
桃枝は私用車のハンドルを握り、当該マンションをぐるりと一周した。
和美の部屋は二階であり、窓は暗いままのようであった。
車をマンション裏にある来客用の駐車帯に停め、降りる。
今夜の行動は一種のボランティアなので、部下を同伴するわけにはいかない。
酷暑はいよいよ最盛期を迎えていた。
肌に貼りつくのは地蜘蛛の繭糸のような湿気である。
ジャケットを脱ぎ、脇に抱えた。
半袖の白シャツが街路灯の蒼い光に反射した。
もう完全に夜の帳が降りている。
屋外からマンションの部屋を再視認する。
「──!」
今度ははっきりと明かりが漏れているのがわかった。
住所欄に記入のあった部屋番号から位置はすぐに当りをつけられる。
まちがいない。
車からの視認の際はなかったはずだから駐車しているうちに点灯されたことになる。
桃枝はすぐに携帯をとりだした。
街路樹の陰に入って姿を隠し、窓を見あげながら番号を押す。
そういう探偵の行動が必要かどうかはわからなかったが、念のため注意を払っておこう。
番号の前に非通知の手順も追加した。
和美が出れば何も問題はない。
他人の声が聴こえたら?
その時はこのまま調査モードへ転換である。
呼出音が二度三度と繰り返される。
部屋の明かりに変化はない。
十度、鳴ったところでついに繋がった。
『もしもし──』
女性の声だ。しかしそれは聞き覚えのある、教師特有の滑舌のいい声ではなかった。
『もしもし?』
若者の、甘ったれたような声が、いくぶん棘を含むトーンに響く。
桃枝は一計を案じて言葉を選んだ。
「・・・志方先生はご在宅ですか」
これなら成り行き次第で、和美の知り合いでも有希のそれでも、どちらでも切り替えられるだろう。
『どちら様?』
「先生にお世話になっているアオキというものですが」
偽名も方便。
雑音が遠くなる。
送話器を手で塞いだのだろう。
裏で誰かと話しているらしい。
複数人が部屋にいるということになる。
声が帰ってきた。
『──どちらのアオキさん?』
「失礼ですが、お宅様はご家族の方でいらっしゃいますでしょうか」
数秒の間を置いて、電話はそこで切れてしまった。
よほど質問されたのが気に障ったのか。
すかさずリダイヤルボタンを押す。
今度は十回鳴っても繋がらない。
そのかわり部屋が消灯された。
桃枝は身構える。
かなりの確率で、この不審な侵入者達がマンションから出てくるのではないかと思われた。
案の定、玄関エントランスに人影が映った。
一人・・・いや、二人である。
男女のコンビ。
二人ともジャージ姿。
それぞれ顎まで届く大きさの段ボールを一つずつ抱えている。
二人の列が向きを変えたので、街路灯の光線が明るく彼らを映しだした。
海老茶色のジャージだ。
するとR高校関係者か。
ハッとしたがその女性は志方有希ではなかった。
もっと若い、十代と思われるショートヘアの女子である。
おそらく高校生なのだろう。
男──力士並みの巨躯の持ち主──も、そのニキビ面からして女子と同年代と思われた。
彼らに挙動不審のところはなく、周囲を気配りする視線の旋回もない。
堂々と駐車場の方向へ歩いていく。
かえって笑顔すらあるほどだ。
躊躇のないその闊歩の様からして、マンションの地取りにも熟知しているようである。
桃枝は慎重に尾行し、彼らが実際、駐車場に入っていくのを追跡する。
ならば車のナンバーを記述することができよう。
そこは露天の構造なので二人がどの位置の車に乗ったかもわかる。
来客用のスペースではないようだ。
段ボールを車に積んでいる。
そして再びマンションの中へ戻っていく。
おそらく二階まで上がるはずだ。
彼らの姿が屋影に入りきるのを確認して、桃枝は当該車へ走り寄った。
国産の大衆車である。
熟練した読み取り能力で、ナンバーを暗記。
常に携帯している鉛筆型ライトとヘアピンでボンネットを開け、打刻された車体番号を発見、これも暗記。
現状を回復し、身を隠していた地点に帰着。
駐車位置は『206』という札が貼られた区画だった。
志方家の部屋番号と合致している。
つまりそれは志方家が契約している居住者のための駐車帯なのだ。
そこに車を止めていたとなると、和美や有希に対し、かなり緊密な関係があるか、またはそう主張する人物達という推理も成り立つ。
二人が出てきた。
いや、もう一人、いる。
最後尾に男。
若者二人よりは少し年齢がいっている。
大学生くらいだろうか。
やはり同じような箱を全員が抱えている。
屈託なく会話しているようなのも変わらない。
三人は荷物を後部トランクに積みこむと自らも乗りこんだ。
最年長者が運転席。
エンジンの空吹かしなど無縁の静かな発進。
車は法定速度で遠ざかっていった。
尾行するつもりはない。
自分の車のところへ戻りながら、桃枝はジャケットを着、豊かに盛りあがった胸のポケットから手帳を出して、先程のナンバーを控えた。この二種類の番号があれば陸運局から簡単に所有者の情報が得られる。
女探偵は手帳を胸乳の厚みに邪魔されながらしまった。
和美がキムラ・タケジロウとR高校陸上部との繋がりをしきりに訴えていたのを思いだす。
たしかに幾つかの疑いはあった。キムラ・タケジロウのルートを優先していこうと提案したのは自分である。諸々の情勢を鑑み、それがベターであると結論したのは、あの時点では誤りではなかったと思うが、ひょっとすると重大な見落としをしていなかったか、反芻する必要が出てくるかもしれない。
桃枝はキーをドアの孔に挿しこんだ。
それを回す前に、背後で靴音がした。
人の気配も──。
振り返ると同時に光線が顔に浴びせられた。
強烈で直進的なオレンジ光だ。
視界が惑乱し、手をかざした。
「──え?」
思わず発した言葉に、男性の声が返ってきた。
「何をしているんだね、キミ!」
若くはない。中年以上の年齢だろう。警官か・・・?
「・・・何って・・・車に乗ろうとしているところだわ」
いきなり二の腕をわしづかまれた。
二人いるのがわかった。腕をつかんでいるのはライトを照らしている人間と別人である。
握力が凄く、指が肉に食いこんでくる。
「痛いじゃないの。あなた達こそ誰? ライトを避けなさい」
「光を嫌うのは犯罪者の本能だぞ」
防犯心得のようなことを言う。やはり当局の関係者か。ならばより毅然とした態度で挑まねばならない。むろん探偵はまったくの民間人であるが、違法なビジネスでもない。きちんと立場を表明し、短時間で職務質問等を切り上げさせるのがセオリーとなっている。
「眩しいだけよ。警官なら身分証を提示して。そうしたらちゃんと説明します」
こちらの冷静な言葉に襟を正したのか、ようやくライトが地面へ向けられた。
まだ網膜の裏側に二十八星瓢虫が飛び回っている感じである。
それでも相手が二人であるのがわかった。
驚いたことに腕をつかんでいるのは女である。鍛えている桃枝でもこの手を振りほどけるか、微妙なほどの力。
正面にいるのは男性。
両者とも中年だ。
男は頭髪が薄くなっている。スーツ姿で中肉中背。
女は短い髪をさらに刈り上げているのが特徴的。
男ばかりでなく女も、小柄な桃枝より二十センチは身長が高かった。
「身分証は?」
「高慢な女だな。怪しいほうから名乗るのが天下の御正道というものだろ」
「警察手帳規則第五条により身分証の提示は職務のはずでしょう」
男女は顔を見合わせてホウと喉を鳴らした。
「ますます怪しいじゃないか。臑に傷を持つ身じゃなけりゃ、そんなところまで丸暗記しないだろうよ」
男がツッコミを入れると、今度は女が初めて口を開いた。
「お前、さっきからこのマンションの周りをウロウロしてたじゃないの。駐車場でもおかしかった。全部、見てたんだこっちは。言い逃れはできないよ」
「・・・」
私服刑事(?)がこんなところで何の張り込みをしていたのか。運が悪いとしか言いようがない。しかし狼狽える必要はない。こちらにはやましいところなど一つもないのだから。
「・・・まず身分証を」
「ふん、時間を引き延ばしてどうするつもりだい。仲間でも助けにくるってか」
女の怪力はますます肉に爪を食いこませてきた。さしもの女所長も眦を歪めた。
「いい加減にしなさい。暴力行為になるわよ」
女を睨みつけたが、次は男が追いこみをかけてくる。
「どうしても名乗らないというなら、このまま署のほうに連行することになるが、それでもいいんだな!」
「無茶苦茶な。どういう容疑だっていうの」
「トボケるんじゃない。この地域の界隈では数ヶ月前から窃盗事件が相次いでいるんだ。このマンションでも被害が出ている。犯罪者は犯行現場へ舞い戻ってくるもんだ。あるいはその仲間かもしれん。じゅうぶんに容疑はあるだろう」
なるほど、そういう事実があったのか。警察の事件捜査と探偵の案件調査のフィールドが重なるケースでは往々にして起こりうるニアミスだ。ならばもう身分を隠す必要もあるまい。ベテランの捜査官なら──苦々しい顔にはなるけれども──すぐに諒解するはずである。
「・・・わかったわ。説明するから待って。私は探偵社の調査員よ。今日はその仕事の一環としてここに来ているのです」
「探偵──」
男の雰囲気が、見回り同心のそれから、岡っ引きのそれへ、明らかに下方修正されたようだった。
「興信所の人間ってことかね」
「そう。身分証が胸のポケットにあるからお見せしてもいいけど、そろそろ手を離してもらえないかしら」
痺れだしている右腕を、女の握力から取り戻そうとしたが、まだ解放しようとしない。
「こら、動くんじゃないっ。外原君、キミが調べなさい。物騒なものを隠し持っている危険性がある」
外原と呼ばれた女がさっそくジャケットの胸もとへ掌をさしこんできた。
「・・・こっちも確認させるんだから、後でちゃんとそちらのも見せてもらうわよ・・・」
女性とは思えない骨張った手の蠢きを胸丘に感じつつ、桃枝は男を見あげ、睨みつける。
外原の手はポケットを探すにしては、もっと範囲の広い動きをしてきた。おかげで女探偵のシャツの胸部が、持ちあげられたり横へ押されたり、軽い狼藉を受けるハメになっている。ブラジャーの繊維が乳頭をこすってくる。
「・・・さっさとしなさいよ・・・」
外原にもきつい視線を射る。ふざけた真似を許すわけにはいかない。
「へへ、おチビちゃんのくせに、女の持ち物はイッパシじゃないか。道で客を拾ってるって白状したらどうなんだい」
最後に手の甲が肉丘を押し潰してきたので、桃枝は思わず息を止めた。
ようやくポケットにあった身分証と手帳が抜きとられ、男へ手渡された。
「・・・あなた達、警察の人間ではないわね・・・」
言動にも挙動にも、公権力に籍を置く人間とは異質のものを感じないわけにはいかない。
桃枝の警戒心が上方修正される。
「ふん、モモエ探偵社ね──」
男は身分証を何度も検視する。
「顔を正面に向かせたまえ」
身分証に挟んであった免許証の写真と照合するという。
再び強烈な光線を浴びせられた。
反射的に顔を背けると、外原に顎をつかまれ、強引に引き戻された。ひっつめの前髪が一筋垂れ落ち、額にかかる。
「なるほど。児島桃枝所長さんのようですな」
男の言葉に外原が舌打ちする。
「このおチビちゃんが社長? どんな会社なんだまったく。少年探偵団かい」
しかし力を抜いたので、桃枝は腕を振り払うことができた。
「外原君、そんなことを言ってはいかんよ。小なりとも老舗の探偵社さんだ」
知っているのか──桃枝は暴言の外原へ憎々しげに瞠っていた目を、ふと男へ移した。
男は身分証ばかりでなく手帳もペラペラとめくっている。
調査の日程が書きこまれた、ほぼ部外秘の内容。
もちろん先程のナンバーも最後の頁にある。
「それを覗く権利はあなたにはないし、許可してもいないわ──」
桃枝が手を伸ばし奪い返そうとすると、男は身長差を利用して、高々と手帳を頭上へ掲げてしまった。
背伸びしようが、少々飛び跳ねようが、桃枝の上背では届かない。
男はそのままページの中身を読んでしまうのだ。
「──五秒以内に返さないと、向こう脛を蹴折るわよっ」
桃枝の剣幕に男は失笑する。
「小なりとも企業の代表たる女性が、そんな無品格な口を叩いてはいけませんぞ」
「いいから返しなさい!」
「おチビちゃん、抱っこして持ちあげてやろうか。お願いすれば考えてやらないでもないわよ」
頭を撫でてくる外原。頭皮にまで直に触ってくるその五本指の手を、護身術の応用で捻り払ってやる。
怪力が退けられたので目を丸くする大女。
「念のため外原君も確認してくれたまえ」
そういうと男は掲げていた桃枝の私物を外原へ頭上パスした。空中に放物線を描いたそれは女探偵の伸ばした指先を遠く越えて外原にキャッチされた。
振り向いて今度はこっちとバスケットボールごっこだ。
中高生の頃は男子生徒達から稀にこうして悪ふざけをされたものだが、まさか今になってあの不快な気分を味わわされるとは思わなかった。
「ほうほう三十六歳かい、おチビちゃんは」
彼女も頭上で免許証を読んでいる。さらに手帳の頁をパラパラと流した。
その体勢でもあるし、夜目でもあるので詳細を把握できるとは思わなかったが、それには必死に万歳をし、勝ち目のないワンオンワンをつづけ撹乱妨害するしかない。
「これを見ると仕事のスケジュールでびっしりだ。さては結婚してないね。もちろん子供もいないんだろ。そろそろ孕んどかないと、いくら頑丈な骨盤持ってても健康な子宝に恵まれないよ」
「ちょっとっ。蹴るわよ、本当に!」
「わかったわかった。どうやら探偵の身分に偽りがないのはたしかめられました。あちらの窓口からお受けとりください──」
再び放物線を描く手帳と身分証。
舌打ちしながら、つかんだ男に猛ダッシュして、ようやく掴みとる桃枝。
「厳重に抗議しますからねっ。さあ、あなた達の身分は!」
「まあまあ落ち着いて。我々には遊んでいる暇はありません。さっさとこちらの身分証もチェックして頂きましょう」
男は黒い皮革でできた認識章を桃枝の鼻面へ突きつけた。
外原も同様にする。
「その細っこい目で、一生懸命、読むんだよ、オラオラ!」
嫌がらせの切迫ぶりに、桃枝は辟易としながらも何とかそれを判読する。
想像のとおり、司法当局とはまったくちがう組織ではないか。
BCGパートナーズ?
記憶にない団体だ。
男性の名は玉置であるらしい。
「あなた方はどういう権限で、私を拘束したり身分確認したりしたのよ」
「我々BCGパートナーズはですな──」
玉置が説明する。神父が本日の訓話を宣うような顔つきである。
「地域による弱者の養護と──組織的共同体の構築をなし──BはBabyのB、CはChildのC、GはGirlのG、すなわちBCGのパートナーとなって──犯罪や危難から彼らを未然に護り──すなわち関係官庁、地元警察からもご声援を頂きながら、今回の窃盗事件捜査にも果敢に取り組んでおるということで──」
こうした夜間の巡視活動も我々の重要な役割の一つなのだと言って憚らなかった。
ようするに警備・防犯会社に毛の生えた程度のものだろうと、桃枝は唾棄する。
たいそうな謳い文句はあっても、その権限はせいぜい町内会の交通安全係員と大差ない。この与太な調子なら非営利の肩書きにも『?』マークがつきそうな輩たちだ。
時間を取られただけ丸損である。
「いいですか──」桃枝がきつく言い渡す。「──今回のあなた達の行動は明らかに民間警備の常識から逸脱したチンピラの行状ですよ。威力業務妨害といっても過言じゃない。速やかに正式な抗議を送りますからね。誠意なき対応を取られた場合は出るところに出ますので覚悟していらっしゃい」
ウヒャーと頭を掻く玉置。苦笑いを浮かべた顔に反省の色などまったくなかった。
「チンピラは虚妄だがそれはそれとして、女所長さんにおかれましては、BCGパートナーズの大義をほとんどご理解頂けなかったようで、甚だ遺憾でありますなぁ。我々の仕事はまさにあなたのような『Girl』にこそ必要なサービスを提供し、そして養護するのが使命なのですぞ。誤解しませんように」
桃枝は嗤った。
「三十六歳で『Girl』? 『Woman』じゃなくて? 英語力が低いのか、女性を蔑視したいのか、どちらにしても現代社会では浮きあがってしまう意識をお持ちのようだわ。まあ、頑張って修行に励むことね」
桃枝は車の扉を開けると素早く乗りこみ、エンジンをかけた。
サイドブレーキを外し、クリーピングで発進する。
駐車場の二人はさぞかし臍を噛んでいるかと思いきや、こちらをまったく無視して談笑している。
どういう人間性かしら──と桃枝は首を振りつつアクセルを踏み、車道へ出た。
今日も長い一日だった。
志方和美の案件をどう処理すべきか、いま少し考えてみなければならない。
マンションの二階の彼女の部屋は再び暗がりのままである。
その意味が判明することは少なくとも今夜はなかったが、明日も明後日も判明しないかは、誰にもわからない。
だからこそ街を徘徊する探偵がいなくなることはない。
それが悲劇か喜劇か、女探偵は解答を出そうとは思わなかったけれども。

さらに一週間が経過したが依然として志方和美からの連絡はなかった。
というより他の仕事に縛られて、桃枝自身、この案件に戻りたくとも出来ない状況が続いている。
中小規模の探偵社なのだから当然こうなってしまう。
だが、わだかまりが消えたわけでは決してない。
志方母娘の奇妙な転向の経緯は、誰が考えたって納得いく道理がなかった。
若いとはいえ、優秀で社会的意識も高かった女性教育者が、口先三寸で生きているスケコマシにたぶらかされて生き血を吸われるような愛人生活に甘んじる。
その娘を心配し、取り戻そうと自ら手を尽くして動きまわり、それで不足とわかれば探偵まで雇い、遂にスケコマシと対決する執念を見せつけた、元教師の母親──暴力団追放運動の急先鋒ですらある彼女が、封書一通の連絡以外を拒否して、あっさり手を引いてしまった。しかも自宅マンションを放棄している様子でもある。
夜遅くまでの仕事の合間、桃枝は通常ルートを迂回して、しばしば和美のマンションを視認しにいっているが、部屋の窓に明かりがついていることは一度もなかった。
唯一の進展といえば、和美のマンションの駐車場で内偵した、例の車のナンバーから、持ち主の身元が割れたということ。
名義人は一之瀬末広。
R高校陸上部の父兄有志による後援会の会長である。
一之瀬佑香の父だ。
さらに彼女にはR高出身で大学生の兄──陸上部かどうかは不明──がおり、こちらは運転免許をもっている。
あのショートカットの娘が佑香であったなら、三人組の行動はいったい何を意味するのだろうか。
マンションの部屋からまとまった荷物を運びだしている姿は、娘を虐めていると訴えていた和美と、その加害者側である陸上部関係者との関係からして謎というより不気味である。
こちらもまた『円満に解決』したのだろうか。
和美が『音信不通』よりも一等上の『消息不明』の状態といってもいい現在、案件終了の所長印を、保留している書類になかなか押せないのは杞憂ではないだろう。
しかし道理がなくとも、これを事件性のある『失踪』という格付けにする確証もまたないわけだ。打ち切り通知も合法である。ちなみに書類上の終了が為されなければ、探偵業務に対する最終的な報酬は振り込まれない契約である。モモエ探偵社にとって手痛いモラトリアムということになる。
こうした状況を延々と継続するのは、誰にとっても得がない。
桃枝はひとつの判断を下した。
多忙な一日をさき、この案件に関わっている二人の人物を訪問し、意見聴取して、その結果から最終的な落着を決定する。
急転直下の感は拭えないが、他に方法がないのだからやむを得まい。

一人目は市議である柴山圭。
彼女とは直接の面識はなかったが、ある女性人権団体のイベントを介して、つながりはあった。
志方和美がモモエ探偵社を選んだのは、まさしくこのラインを辿ってのことである。
柴山議員が和美の携わっている住民運動にも深く関係している事実は桃枝も聞き及んでいる。旧知の間柄でもあるらしい。
事前の面会予約の電話では、彼女もひと月以上、和美と連絡を交わしていないと言っていたが、運動の中での和美のふるまいや連絡が途絶えていく過程から、こちらのケースとの類似や相違がはっきりすれば、謎の輪郭が見えてこないとも限らない。何事も複数の視点が必要なのだ。

議員の本拠である事務所は、商店街の隅にある、すでに商売を畳んだ店舗の二階に間借りする形で置かれていた。
扉には、柴山が大きく映っている政治活動用ポスターが貼られている。

駅前再開発反対・男女共同参画推進・管理教育改革・腐敗行政追及──

人権意識啓発メインの公約が箇条書きされた隣に、明るい緑色のジャケットを着た彼女が笑っていた。
ノックする。
開けると、まだ午前中であるのに関わらず、小さな扇風機が勢いよく回転し、生暖かい空気を十畳ほどの室内へ懸命に行き渡らせていた。
そこには議員一人がいて、桃枝を出迎えた。
「クーラーが故障していてね。まあほとんど議会のある庁舎に張りついているから、ここには選挙のとき以外、一日中いるというのはなかなかないのよ。大家さんも高齢者だし、鋭意努力を要求するのも難しいところよ」
うだる暑さを謝罪しながら握手し、椅子を勧める圭。
選挙戦ともなれば学生ボランティアなどが詰めかけてくる柴山事務所だが、彼女二期目のそれは去年済んでおり──得票数二位での再選──今はほとんど一人で切り盛りしているのだという。
これから議会へ登院する予定の彼女──スーツ姿だが上着は脱ぎ、ブラウスの袖をまくった姿である。大人の女性の色香を漂わせる黒髪は今日はポニーテールにまとめていた。勇ましいニックネーム『タイガー・圭』とは対照的に顔立ちは和風である。
「志方さんは結局、あなたのところに仕事を頼んだのね」
女性団体に仲介はしたがモモエ探偵社までは詳らかに知らぬのが圭の立場である。
桃枝はこれまでの経緯を手短に説明する。
「つまりこれからという時に、調査打ち切りの通知が来て、そのまま音信が不通になったというわけです。どうやらご自宅のマンションにも暮らしている形跡がないようなのです」
「え? 引っ越しちゃったの。あそこ・・・」
圭はそれにはかなり驚いた表情を見せた。マンションの部屋とはいえ長らく夫と生活していた思い出の場所である。
「あの夫婦はオシドリだったから、旦那さんが亡くなった後も、彼の記憶の残るあそこを簡単に手放すとは思えへんけどねぇ」
丸い顎を撫で、当惑げな女議員。
桃枝の質問が開始される。
「それで、住民運動のほうでの志方和美さんのご様子なのですが、やはり最近は欠席中ということになりますか」
圭はやや表情をしかめて頷いた。
「私用のためしばらく休養する、という郵便がやはり町内会会長のところに届いて、それっきりになっているようね」
その日時を確かめると、探偵社に通知が送りつけられた日と一日しか前後していなかった。圭は言ってみれば非常勤のアドバイザーにすぎないため、全容を知っていたわけではなかったが、桃枝から電話が来たのをきっかけに住民運動の幹部連中に連絡をし、事情を吸いあげていた。
「志方さんは運動の中心的な役割だったので、それはもう痛手よ。卯高組の影に怯えてほとんどのメンバーが腰が引けちゃっている中、彼女だけはテキパキと、じつに有能な働きをしていたんだから。教師時代、様々な活動に関係していた経験が物を言っていたんじゃないかしら」
桃枝は大きく同意する。和美の沈着冷静ぶり、先を見通す力、そして決断力──運動のリーダーを担う素質が幾つも備わっていたと思う。
「その暴力団の筋から脅迫されていたような事実はなかったでしょうか」
圭は首を振って否定する。
「実際はまだ何もなかったはずよ。幹部のおっさん達は卯高組の過去の類似例から、あるもんだと決めつけているだけよね。まあそれもヤクザの狡賢い戦略なんやろうけど。でも彼女は何もかも織りこみ済みだったわけだから」
「怯えて姿を隠すなんてことは有り得ない?」
ニッコリ笑う圭。歯並びは矯正されたように美しく整っていた。
「この件が理由ではないわね。やはりお嬢さんの問題じゃないかしら。彼女が深く悩むとしたらそれしか考えられないわ。だって去年も──」
圭がそう喋りかけた時、事務所の電話がけたたましく鳴り響いた。
桃枝に断り、電話に出る彼女。
こちらへ向けたスラックスの臀部の格好の良いこと。
二本の弾力的な太腿に収まりきらないように、尻肉がむっちりと左右へ曲線をひろげている。年齢的には自分よりも上だろうと桃枝は踏んでいたが、肉体の健康ぶりは三十代とちっとも変わらないようだった。
「はい、柴山圭事務所ですが・・・」
こちらへ向けた横顔が相手の声を聞いた途端、違法駐車に舌打ちするような表情になった。
「またあなた・・・それでご用件は? いやご用件って言ったって、いつもと同じなんでしょうけど」
圭は座っている児島桃枝をチラリと見た。出した麦茶に口をつけ、電話に配慮するように、しきりに手帳をめくって聞かぬふりをしている。探偵などという職業の人間だから、そういうポーズをしていても、やはり耳は注意深くこちらを窺っているのだろうか。それでも圭に彼女を敬遠する気持ちは起こらない。小柄で人好きのする女性だが、仕事に対する高い意識を持っているのがすぐに伝わってきた。
『──こら不肖柴山!』
男のがなりたてた声が受話器の向こうから轟いてくる。
『私がいつもと同じことを言わなきゃならんのは、不肖柴山がいつもと同じ御託を繰り返すからだろうが、アーン!」
「当たり前でしょう。信念があって議員を務めているわけだからね」
ここ二ヶ月余り、この男からの迷惑電話が延々と続けられている。
名もろくに告げない男はそこそこ年配のようだったが、圭の政治姿勢や人柄について、居丈高な調子で説教するのが通例だ。当初は完全無視の方針を採用していたが、それだと嵩にかかって迷惑行動を増長させてくるのである。一度などは、どこで調べたのか柴山家の自宅の電話番号を、口を滑らせたように一人ごちし、善良なる市民からの陳情には誠意を持って対応するのが議員の職責であって、それが果たされる以上、善良なる市民は善良のままでいるはずだと、暗に圧力をかけてくる。たしかに、一回の電話に10分程度つきあってやれば、二三日は大人しくしている『ルール性』を持っているのが次第にわかってきた。そもそも電話の内容に脅迫というほどの凶悪性はないし、政治ゴロのような金品の見返りを求める素振りもない。これでは裁判に持ちこめるかどうかも不確実なところで、騒ぎ立てて警察の厄介になるのは、汚職追及を訴える立場から攻勢を強めようとしている今は政治的に得策ではなかった。
有名税だと割り切って、不愉快であっても『つきまとい』に反応してやることに決めているのだった。
『とにかく昨日の駅前の街宣は聞いていられなかったぞ。不肖柴山の論理性の欠如はすでに三国一の誉れも高いが、言うに事欠いて、教師の体罰は教育ではなく統治の道具である、とは、蒙昧もここに極まれりアッパレである!』
「朝から聞いてくださってありがたいけど、客観的な事実よねぇ、それは。アッパレを戴くほどでもないと思うけど」
『じゃあその蜂の巣頭に尋ねるが、学級崩壊した学級の、秩序回復のロードマップをズズズィィと天下に知らしめてみせぃ! 力の復権なくしてどうして素っ飛んだ絆を結びつけられるんですか。子どもはそんなに甘いもんじゃないですよ。ファンタジスタ大先生!』
「つまり統治の道具ってことよね。非常事態における緊急避難としての違法行為は、違法性を限定的に阻却されるだけであって本質は違法なものなのよ。平時において野放図に認めれば、けっきょく平時を回復維持するのではなく状況のほうを非常時に変質させていくだけなんだから。そういう硬直した安定やん、体罰による秩序って。それは戦後の教育の在り方とはちがうし、効果なんか、あなた、田舎の高速道路と一緒よ。短期的には向上したように見えても、それは限定的でしかも長期的には誰もが負債を抱えるように仕組まれていて──」
『不肖柴山! 不肖柴山! 不肖柴山! 聞きなさい聞きなさい聞きなさい。今の不肖柴山の幼児語は、心ある成人には理解も刻苦である。なかんずく短いセンテンスの中に限定的という単語が二度も重複している演説ベタを厳しく反省しなさい。言語能力を欠いた議員が有権者の支持を失うのは、ようするに化けの皮が剥がれるという意味で、不肖柴山のようなファンデーションを使いすぎる厚化粧の婦女子議員において、よりメタファーなのではあるまいか。では続きまして次の我々のテーマ、男女共同サンカクだかシカクだか知らないが・・・』
「ああ、あのね、残念なのだけれど、今日はこれ以上お付き合いできないのよ。お客さんが来ててね。重要な用事で来られているの。続きは明日にでもしてもらいますよ。いいですね」
『放置せよ。婦女子による婦女子への陳情は、まさに猿の尻笑い。放置せよ。さもなくば不肖柴山の熟柿たる健全身体に暗雲立ちこめる凶兆の彗星が穿たれる。いいのですか。公約詐欺師として胴上げされますよ』
「ハイハイ、あなたのご意見はじゅうぶん拝聴いたしました。今後の議員活動の参考とさせて頂きます。本日は有り難うございました──」
ようやく受話器を置いた。久しぶりに一方的に切ってやったのは溜飲も下がるところだが、解せない部分もある。男は事務所の客が女性であるのを知っている語調だった。
なぜやん・・・。
前々から感じているのだが、この事務所はあの男に監視されているのではあるまいか。
「問題でも?」
桃枝は無表情で顔を上げた。
ふぅと溜息をつき、椅子から腕を伸ばしてデスクの扇風機を近づける圭。
「クレーマーというべきか、ストーカーというべきか、とにかくしつこいくらい迷惑電話をかけてくる男がいるの」
「政治家のお仕事も大変です。表でも裏でも休みなく闘っていらっしゃる」
電話への応答の中に教育や体罰への言及があったように思われる。柴山圭の政治的立ち位置からすればこの種の嫌がらせはおびただしいものがあるのだろう。
「今の電話は特殊なものだけれどね。付き合い方がわかれば、どうってこともない種類です」
「ところで志方有希さん──和美さんのお嬢さんですけど──彼女が奉職しているR高校をご存知でしょうか」
「ええ、志方さんからもよく聞いていたし、私立ですけど当市の管域だから、文教委員会に属していた当時は、注視する部分もありましたね」
「やはり暴力や体罰の噂ですか」
圭は苦笑する。
「その逆」
「逆──と言いますと」
「そう。優良校として何度も表彰されている。緑化運動、地域清掃奉仕、少年スポーツ団へのコーチ指導、高齢者福祉施設への慰問、商店街の夏祭りへのボランティア派遣・・・率先して取り組んでいるという理由でね。とくべつ市に気に入られている存在よ。市立の学校もあるのに、どうしてR高校ばかりと不思議に思って調べたことがあるくらいだわ」
圭はさらに地元の信用金庫の団扇で顔を仰いだ。
「わかってみれば陳腐な話よ。R高校の副理事長というのがどうやら河徳学園(カワトクガクエン)系らしいのね。R高本体は系列校とまではいってないけど、緊密なパイプがあるのは確実でしょう。うちの市議会や市役所には河徳のOBがわんさかいるわけで、つまり学閥の矮小な既得権益ってやつかしら。公金を不正に流用したり、許認可に配慮融通をした賄賂を受けたり、そういう疑惑までは心証シロだったけれど」
R高校陸上部がスタジアムを自由に独占できる理由はその辺りのところからだろうか。
いずれにしても河徳学園といえば軍隊式の管理教育や体罰賛美で有名な私学グループだ。他学校法人の強引な併呑で非難された過去もあった。
「過剰なまでの地域貢献は、河徳隠しってことじゃないかな。時期をみてR高を系列化する企みね」
桃枝はそのR高の教師である志方有希が、母親に、校内あるいは部活動内で体罰がふるわれている事実を仄めかしていたのを報告した。
「すでに体質は移植されているのかもしれないな・・・」
しかし有希はその後、最も体罰を行使するであろう関係者として取り質されていた、彼女が顧問を務める陸上部の嘱託コーチに、帰依とも呼べるほどの心酔の体を人目も憚らず表すのである。
「帰依って・・・?」
圭は団扇を振る手を止めた。
和美の証言として、桃枝は有希の突飛な行動や衣裳の一部始終を聞かせた。
「胴上げ──っねぇ・・・」
圭は心に引っかかるものがあるように呟いた。
「スポーツで優勝した時にやる、あれでしょう?」
「だそうです。それも一度ならず、ほぼ日常茶飯事のように、と和美さんは言っておられました」
「イジメでの胴上げ落としというのは聞いたことがある」
なおも訝しげな圭。
「子どもよりも職場でのイジメでよく用いられるはず。歓送迎会なんかで、気に食わない上司や新人を標的にしてやね。発覚しても、口裏を合わせれば最悪、過失で済むし、実行行為者を特定しにくいので、あんがい『大人に人気』の手段に違いないわ。たしかに見た目だけなら祝福にしか思えないものね」
「ただし、それは和美さんからの伝聞だけで、私は証拠を持っていません。写真があるらしいのですが・・・」
最後に、志方有希が現在の状況に陥った背景には、張本人の結婚詐欺師とR高校の深い闇が密接に繋がっているのではないかという和美の推理を披露した。
「志方和美さんが消えた理由にも因果関係があるとおっしゃるのね」
「合理的なストーリーはありません──」と桃枝。「──状況証拠は幾つかありますが、なにぶん雲を掴むような話なので。それにもう、この件の依頼者が調査終了を通知してきている以上、会社として動くのは困難なのです」
今日のこの訪問も、じつは気持ちに区切りをつけるための個人的な最終調査の色彩が強いのだと率直に語った。
「こちらの事務所と、あともう一カ所、和美さんにコンタクトをとってきたという陸上部の女子部員に会ってこようかと」
「見上げたものだわね」圭はにこやかに女探偵を賞賛する。「こんなことをしなくたって誰にも咎められないでしょうに、公休をとってまでケリを付けようとする、なかなか出来る真似じゃないわ」
圭の顔がキリリとなる。
「私も志方さんにはお世話になっているんだから、協力可能なことは何でもします。いつでも相談に来て頂戴」
その言葉を受けて、桃枝は彼女に紹介状を二通用意しておいて欲しいと頼んだ。むろん必要になる展開は少ないとは思うが、一之瀬佑香への聴取が完了した時点でどうなるか、まだわからない。
「おやすい御用よ。前職でも、文教委員会委員の履歴はけっこう大きいのよ。で、宛名は誰?」
これですと桃枝は『中西益雄』の名を書いたメモを渡した。それとR高校校長宛である。
圭の団扇が残像をもつほど仰がれる。
「これが体罰当事者ね」
桃枝は手帳をしまい、コップを茶托へ置いた。
「探偵社の人間がオフの身分で、いきなり会いにいっても門前払いでしょう。議員さんのバッジは助かるんです」
もちろん一之瀬佑香にはアポなしで体当たりだ。未成年者なので強引さは薄めなければいけないが、会話に持ちこむ自信はある。
二人は互いの健闘を祈って固い握手を交わした。
「ああ、そういえば──」圭が思いついたように尋ねた。「──お宅の会社は盗聴器の捜索みたいなことはおやりにならないの」
「承っております。専門家もいるし専用の器械も揃えていますからお気軽にご用命ください」
「いちどこの事務所、調べてもらおうかしらと思って。どうも怪しいんだ。とくに最近は──」
と、言いかけたところで再び電話の音が鳴り始める。
首をすくめる圭は、それではよろしくと別れを言い、デスクへ帰った。
議員さんの事務所はやはり千客万来だ。
桃枝は彼女の後ろ姿に無言で会釈。そうして扉を開けて階段の踊り場へ出る。
そのさい柴山議員の声が小さく耳に届いた。
「・・・またあなた・・・ダメダメ、そんな時間なんかどこにも・・・尻子玉を取る?・・・何の寝言よそれ・・・」
さきほどのクレーマーか。しかし自分が力を貸す余地はなかろうと桃枝は思う。あの先生ならうまくこなすに違いない。盗聴器自体、警戒心を忘れなければ恐いものではない。逆にそれを利用するしたたかさを彼女くらいなら持ち合わせているはずである。
私は次の対象者へ集中すればいいだけ──桃枝は狭い階段を躊躇なく下りていくのだった。


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