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(二)の続き

わりとがっちりとした体格である。
彼は資料を持っていて、その1ページ目を私の眼前にチラリとみせた。
二人の女性のモノクロ写真だった。

いや──ちがう。

女性一人の別写真である。

右の写真は何かの証明証のような顔写真で、上品なショートヘアの中年女性がキリリとした表情で映っている。白襟を返した黒ジャケットが垣間見えた。
左の彼女には頭髪がなかった。
これも正面向き。丸坊主で、素っぴんだからという訳ではなく、何かを剥奪されたような印象だ。
両肩や鎖骨が剥きだしで、少なくとも上半身は裸に近いと思われた。

佐藤ウメ

写真の下に、そう名前が印刷されていた。
私はあっと叫び、名前に続いて書かれている、細かな記述を読もうとする。
ジンタロウ氏は書類を意地悪く遠ざけた。
「これは拙かった。読み出し禁止のパーミッションを切っていたはずだったのが、そうではなかったのだ。何かの拍子に、フォルダごと全部、表に出てしまった。気づいてすぐに削除したが、やはり何人かには読まれてしまった」
書類をこれ見よがしにめくっていく。
ページの風圧に鼻先をくすぐられる。
「・・・どうしてそんな仮名なんですか。ウメやキクって、しかもカタカナって・・・普通仮名と言えば地味なものを選択するでしょう」
私の疑問に彼は平然と答えた。
「これは仮名ではなくて本名だな。いや通名というべきか。『沼気村』の奴隷になった途端、女達には戸籍が無くなり、同時に元の名も剥奪される。しかし呼び名がないと何かと不便なので通名が創られるわけだ。春先に連れて来られたら『ウメ』秋なら『キク』という具合に、たしかに前近代的な安易なものが多い。しかし本来、女の名前などそれでもお釣りがくるくらいなのだから、問題はあるまい」
「・・・」
性差別主義者の中年男は書類を私の約3メートル前方にぶら下がっている、どう見ても物干用としか思えないハンガーに、二個の洗濯バサミで吊るした。ハンガーが引っかかっているのはポンプから伸びたアームである。
「──何故そんなところに?・・・読ませてくださいよ・・・」
それを手に入れれば、調査員的にはミッションほぼ終了。変態オヤジのケツを一発蹴りあげて、この事務所から飛びだすチャンバラも解禁だろう。
「よし、読むのを許可する。ただしさっきも言ったように楽はさせん。ボーナスは奴隷の使役を骨身に体験して初めて得ることが出来る。でなけりゃ、ウメやキクが浮かばれまい」
ジンタロウ氏によれば、ハンガーを固定しているアームは、ペダルの動力の余分を利用して、ファンを回すチェーンとは別のチェーンと連動しているのだった。ペダルを踏めば踏むほどハンガーは操縦者の顔の近くへ移動してくる。少しでも漕ぐのを怠ければ遠ざかっていくカラクリである。
「何でこんな機能が備わっているのか──奴隷に対する人参作戦だな。吊るすものは様々だ。二日間絶食した後なら香ばしい肉汁を滴らせたステーキとか、生理の時ならタンポンとか、あるいは外の景色を10分間だけ見る権利とか、奴隷のやる気を起こさせる人参なんて無数に考えられる。女教授も女課長も、皆ハムスターのようにポンプ作業に没頭するわけだ」
彼はタコメーターを指でつついた。
「赤のゾーンの次に青のゾーンがあるだろう。ここまで針が振れたら資料が動きだす。さあ死に物狂いで漕いでみろ! お前は頭が弱いんだから身体を使え! 自分の足で特ダネをつかむんだ!」
おでこをシッペされた私は憮然としつつもペダルとレバーを使い始める。
赤ゾーンまでだって全力疾走並の体力を必要とするのに、青ゾーンへ針を振らせるには顔面が猿のようになるまで大汗を掻かねばならなかった。
眼鏡を没収された近眼の私には、よりハンガーを近づけなければならないハンディもあった。
畜生!
奴隷に眼鏡はいらないって?
詐欺だ!
「やはりこの作業を着衣のままやるのは非常識だったな。静電気の件もそうだが、これではブラウスやスカートにまで汗の染みが広がってしまう」
ジンタロウ氏は笑いながら煙草を吸っている。きっと透けて浮きあがる下着のラインを眺めているのだろう。

・・・歯を食い縛った奮闘の末、一進一退を繰り返した中で、なんとか読むことができた『佐藤ウメ』のエピソードは、女性教授失踪事件の全貌を想像させるにじゅうぶんだった。

◎ ◎

佐藤ウメは都内にある有名私立大学の社会学部教授だった。論文は優秀で、授業も学生に人気があったらしい。実際の年齢より十は若く見える容貌は女性としての魅力をまだまだ残していた。だから都市伝説にある失脚の理由──不倫騒動──を多くの人間はさもありなんと理解したようだ。しかし真実は違うのだった。当時、彼女の勤務していた大学では学長選挙を巡って深刻な対立があった。学生自治を広く認めるこれまでの校風を支持するグループと、管理を強めようとする外来勢力グループの争いだ。ウメや鈴木キクは前者に属していた。選挙の結果は裏工作に長けた後者の勝利に終わったが、彼らが推し進めようとした大学の運営方針でも、前者はことごとくこれに対抗する態度を取ったため、粛清の嵐が吹き荒れることになる。まず標的にされたのはカリスマ的美人教授である佐藤ウメだった。男性教授との不倫関係を騒ぎ立てる怪文書(コピー有り)が出回り、ホストクラブに月100万円注ぎ込んでいるとの噂(証言有り)が流れ、あるいは外国籍の連続快楽殺人犯を擁護する意見を主張したと根も葉もないネガティブキャンペーンが打たれた。そうした騒ぎの責任を一方的に取らされる形で、佐藤ウメが大学での要職をすべて解任され、学部教授の地位から無任所の平教授へ降格され、自分の研究室すら取りあげられたのは、大学が発行した公文書から証明できる。(実物のコピー有り)そしてそれからぴったり一週間後、彼女は「しばらく旅行にでる」とのメール(原文ファイル有り)を残して消息不明となるのだ。もともと一人旅には公私両面の理由で頻繁に出かけていたため、当初は誰も疑いを持たなかったが、音信不通が一ヶ月もつづくと家族の心配も募り、捜索願を提出することになる。(これも証明できる)警察は事件性は薄いとして普通失踪と見なし、大掛かりな捜査を行わなかった。それから約七年間、昨年、家族より当該家庭裁判所に「失踪宣言の審判申立書」が提出され、数ヶ月に渡る法的手続きののち、法律上の死亡が確定されるまで、佐藤ウメの消息は一つも他人の耳に聴こえてこなかった。
が、この七年の月日の間も彼女は生きていたのだ。
『沼気村』で──
毎日ポンプを漕ぎながら、だ。

◎ ◎

「すると・・・佐藤ウメは今日も生存しているということですか・・・」
私は荒い呼吸を必死に呑みこみながら言った。


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