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  クレア・ワトキンス b

「やはり『ヒィィィーっ――』は入れないとねえ」
徹夜したのにちっとも影響が顔に出ていない野村妙子はそう言ってワープロ画面を覗きこんでいる。
「編集員だったら『何はともあれ100枚,いきましたな』くらい声をかけるのが常識なんじゃないですか。小林信彦の小説によく出てきますよ」
「ようやくこれでミッションのスタートラインについたって,ところだからね。餌は獲物が食らいついたとき餌になるんだ。脱稿即商品価値が認められる流行作家の作品とはちがうさ」
まったく口の減らない牝狸である。鞭でシバキあげたいのはこいつの尻だ。
「早く『その三』,渡してくださいよ」
野村妙子はアタッシュケースから用紙を取りだした。私はそれを引ったくろうとして失敗する。一睡もせずに書き続けていたためやや興奮状態である。
「こうして傍から見ていると二人は仲のいい夫婦に見えますね」
そう口を挟んできたのは近藤友美。日が替わる前に馬場由里子と交代するため訪れてきた。
「近藤――」野村妙子の声は釘を打つ金槌に近い。「お前はいいから自分の職務を果たしなさい」
近藤友美はポニーテールのままだったが,タンクトップとショートパンツを身につけていた。二十代特有の若々しい肌の輝きが充血した目に染みるようだった。彼女はキッチンに入り,朝食の支度を始める。
「へえー,ノルマを達成するとこんなご褒美があるんですね。手料理の朝飯なんて何年ぶりだろう」
「貴方のためじゃないよ。私用の朝食だ」
「・・・」
「情けない顔をするんじゃない。冗談だって。ちゃんと二人分,用意するさ」
「・・・野村さんは料理できないんですか。フェミニストの年季がちがうんだろうな、彼女とは」
「ローテーションがたまたまそう言う巡り合わせなの」
好奇心で変態作家のプライベートを覗きに来たというところだろうか。
ようやく野村妙子は私に用紙を手渡した。
しかしそれは『その三』ではなかった。
「これは?」
「さっそく掲示板にアナウンスを出しましょう」
そこにはこう書かれている。

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「絵物語・厳獄(三)」更新
ご確認ください。今週より新作小説に取り組んでおります。何年振りですかねえ。色んな意味で、また新たなスリルですわ。応援してちょ♪

さて、本日の注目点は・・
・これは辛い。
・門衛、まだいたか。
・立ち上る煙。
などです。

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出羽健書蔵庫の掲示板に毎週末アップしている更新メッセージである。現在はCG絵物語ばかりの連載となっている。たしかに絵物語は全四巻の予定で製作しており,その最終第四巻目も,ほぼ完成に近づいている段階だとほのめかしてはいたので,以後のスケジュールを気にしている読者もボチボチ出て来てはいた。今,新作小説執筆開始のメッセージを上げても不自然ではない。そうだ。明日はちょうど金曜日であった。
「まだ『海猫04』の件にもオフ会の件にも触れないでいきましょう」
「情報は小出しが正解ですか?」
「ヨシオカチャンが確実に食いつくように状況をならすのよ」
「・・・『その三』はお預けなんていうのじゃないでしょうね?」
私の疑り深いまなざしに野村妙子は一歩後ずさって緩衝地帯を二人の間に設ける。
「言ったでしょう? 餌に食いついてこなかったら餌は取り替えなければならないって。もう100枚,新たに稿を起こす必要性が出てくるかもしれない。その時のための担保よ。ヨシオカチャンを『たも』へ入れたら『その三』は貴方の手元へ送られるわ」
「なんだか暴れたくなってきちゃったなあ」
「『その三』は今まで以上に内容が重要だからね。そう簡単には公開できないんだ」
野村妙子の表情はますます冷たくなっている。この顔では取りつく島もないようだ。しかし私は諦めきれずグズグズとまとわりついていく。
「サワリくらい教えてよ。やはり山本佳恵教授は洗脳されたって睨んでいるんでしょう,ソシアルは。星彗照世会にさ」
野村妙子は一二秒,私の目を見つめていたが,再びケースから何かを取りだすのだった。
「仕方がない。今日のところはこれで我慢してもらいましょう――」
まず写真が手渡された。
「Homer Vargas氏とその奥さんよ」
「え――」
男女がにこやかに肩を組んでいる写真。男は白髪で五十代後半から六十代というところ。頑丈な身体を持っている。女は二十代前半か,下手をすれば十代後半。アメリカのホームコメディドラマの主役でいけそうな親しみやすい美人だ。小柄だが顔が小さく胸も健康的に丸い形。肩まであるダークブロンドが印象を落ち着かせている。
「もちろん本人じゃない。こちらが仕込む代役ね。男性は日本に住んでいる。英語学校の講師。女性は――」
「お友達ですか。これでもフェミニストなんですね」
「これでもって――」
私の言葉尻をとって近藤友美がケラケラと笑い声を立てる。
「フェミニスト=ブスという固定観念からの言葉だったな。今の」
「私も海外のフェミニズム系のサイトを幾つも閲覧して,美人がいっぱい存在しているのを知っていますがね。この写真の彼女はアイドルでもいけるんじゃないですか」
「クレア・ワトキンス。私の留学先で同じコースを履修していたのよ。まあ私の方が三つくらい年上だったけどね」
すると三十前後。十歳は若く見える。
「そもそもこの夏日本へ来る予定があったの。事情を説明したら二つ返事でOKしてくれた。何しろ彼女は米国版『social』と深い関係にあるライターだからね」
このアイドル顔でテロも辞さずの戦闘的フェミニストか。世界は広いのだ。
「むしろ積極的にミッションのアイデアを出してきたくらい。『Liberty of liberties』への憎悪は尋常ではない。星彗照世会がその一派と聞けば黙っているわけにはいかない。アメリカの普通のフェミニストならスタンダードな行動よ」
野村妙子が手渡してきたのは写真以外にまたもやURLであった。
「――通常のニュース映像なのでテンション低めだろうけどね。ローカル局が発信元だから日本では流れていないはず」
動画はパスワードなしですぐに再生開始となる。
街の中心部――高層建築がほとんどないのでたしかに田舎なのだろう――の交差点に人だかりができている。よく見ると車道を挟んで左右の歩道に分かれ,それぞれ統率のある行動をしているようだ。左側にいるのはほとんどが女性であり,プラカードを持ち,大声を張りあげ拳を突きあげている。プラカードを振りかざしているのは右側の集団も同じだが,こちらは男性の若者と中年以上の男女が構成となっていた。そこにメディアの記者たちと思われるカメラとマイクを手にした一群も絡んでいて,騒然とした情勢となっているのだった。
彼らがマイクを向けようとしているのは大男の制服警官二人に両腕をつかまれている手錠腰縄付きの小柄な女性である。サングラスを頭に差して表情には余裕がある。
ニュースのナレーションと字幕が出たが当然私の英語力では理解するのに遠く及ばない。
「通訳してください!」
「出羽健氏,英語の変態小説、無数にコレクションしているじゃない?」
野村妙子の愉快そうな声。
「テキストであれば翻訳ソフトと根性で,砕氷船が氷河を割って進むように読解していきますが,ヒヤリングなんてとても無理ですよ。後生だから早く!」
「変態オヤジって本当に哀れだわ」
卵焼きを菜箸で返している近藤友美が呆れている。
嘲笑まじりの野村妙子の解説によれば,この女性はイングリッド・ロングバーグというN・タイムズの記者である。彼女は『Liberty of liberties』傘下の教会が根を張るこの地方都市で,教会が絡んだ公判中の脱税事件を取材していたのだが,彼女自身が証人として召喚されることになった。彼女は召喚には応じたものの、証拠提出の際に,取材源である情報提供者の名を秘匿したため,法廷侮辱罪に問われたのである。
「この州の最高裁は宗教保守派系が多数を占めているわけね」
裁判所は州刑務所への収監をちらつかせて名前の提供を促したが,ロングバーグは頑としてそれを拒否。最後にはとうとう二百日の禁固刑を言い渡されてしまったのだ。
この撮影された日が収監日なのだった。
「メディアの質問は凡百よ。後悔はないのかとか,情報提供者への感情はとか,これはただの売名行為ではないかとか――」
ロングバーグの受け答えはしっかりしている。ちょっと鼻にかかった声だが,聞き取りづらいわけではない。かといってアウト・スポークンな活動家のように大声で自説を主張するようなタイプではなかった。曲解を防ぐように言葉を選んで喋っているという感じ。
「彼女がミリタント・フェミニストの同調者であるのは暴露されているので、世論はやや彼女に批判的であるようね。アメリカの宗教保守派団体は資金が潤沢だから,この規模の地域メディアなら簡単に操作されてしまうでしょう。おかげで裁判所も身柄を確保しやすくなった」
事件は脱税疑惑の騒動から『Liberty of liberties』の支持派と反対派のせめぎあい,プロ・チョイス(人工妊娠中絶賛成)派とプロ・ライフ(中絶反対)派の対立まで持ちこまれ,さらに複雑怪奇となったが,とうとうこの日を迎え,双方の活動家や支持者が集結し,ボルテージ合戦となっているのである。
カメラはいったんロングバーグから焦点を外し,両グループの様子を映しだした。
それが左側の女性活動家たちへ移動したとき,
「ほらここ――」
と野村妙子は動画を一時停止し,その最前列で,ひときわ激しいアクションで抗議しているジーンズの女を指で示した。


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