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  山本佳恵教授の敗北 その二 あるいは林麻子弁護士の屈服 その零 b

慌てて追うカメラ。
レンズはカメラウーマンの足下を映す。でないと転んでしまうだろう。
荒い呼吸が集音される。
『待ちなさい、君たち!』
たぶん頭上で鋭い声がした。
呼吸も足も止まり,カメラが階段を舐めあげた。
林麻子は三人の白装束を見事に追い越して、その前に立ちはだかり,進行を急停止させたのだ。
見下ろす美人女子大生と見上げる男たち。さらにその下からカメラが挟みこんだ。
機先を制せられ,状況の把握に戸惑っていた白装束のうち,最も足の長い男がベレー帽に手をやりつつ,一声を発する。
『おやゼミ長さん,怖い顔をして,どうされました?』
この男は彼女を知っているらしい。
『どこへ行くつもり?』
林麻子の声は自分を知られている事実に動揺していない。
『そんなこと,教える必要があるのかなあ。自由な大学祭でしょう』
『昨日、山本先生の講演を妨害した張本人がよく言うわ』
『妨害? それは聞き捨てならないな。質疑応答の時間に二三,意見を述べただけですよ。あの程度も許さないなんて,山本はやはり思想信条の自由を弾圧する全体主義者なんですね』
教授を呼び捨てである。彼らの素性が明らかになってくるようだ。
林麻子は微動もせずに反論する。
『講演会出席者の顔写真を、フラッシュ付きで派手に撮影したのは,脅迫以外の何だって言うの。講演中もその服装で歩き回ったり,体操をしたり,立派な示威行動でしょう、星彗照世会のユーゲントと呼ばれるだけのことはあるわね』
そうか。そういう青年組織があるのか。
『それこそ立派な誹謗中傷ですよ。ゼミ長さん。我々は隣人を理解しようとしているだけです。残念なことにこの隣人は超法規的手段を使い,素朴な布教活動まで排斥するならず者ですから,調査や観察が必要なんですよ。仕方がないでしょう。すべての罪悪に神の慈悲が及ぶわけではありませんから。山本に更生の余地があるかどうか,審査しなければなりません』
二人の口論の最中,一人の白装束が気配を感じたのか,振り向いた。カメラの存在に気づき,驚いて,すぐにリーダー格の背を叩くと耳打ちする。
三人全員がこちらへ顔を見せた。
特筆すべきは彼らの容貌である。
皆,ジャニーズ系の甘い顔立ちの持ち主だ。体型といい,ユーゲントになるのに外観に関する採用基準が存在するのは確実である。
『またまた姑息な手段を使ってくれましたねえ。ゼミ長さん!』
『やりたい放題やったあと,しらを切るのが君たちの十八番だからね。いつまでも同じ手は食わないわよ』
男の一人がカメラへ向かって手を伸ばし,撮影を中断させようとする。
『なによ!』
カメラウーマンが初めて声を発した。村西沙耶の声はゼミ長よりもソプラノだ。
『まあ待て。菊紫郎――』
リーダー格が手を挙げた彼をなだめた。
『山本ゼミの足軽たちは肖像権という法理も知らない田舎者だからな。今はそんな奴らへレクチャーしている時間はない。行くぞ』
狼藉の現場を記録されては不利と判断したのか,リーダーは部下の肩を抱いて正面を向き,そのまま階段を上っていこうとする。
林麻子は一歩も引かず,両者の間隔はすぐに鼻も触れ合わんばかりとなる。
『ゼミ長さん、ミスキャンパス・コンテストの推薦辞退したんだってねえ。惜しいなあ。私はファンなのに。あなたのような臈長けた女性が山本ゼミ如き醜女のための寺子屋にいちゃいけない。一心に随従を学んで女を磨けば、きっと社会の役に立てるものを。さあそこをどきなさい。神のご意志ですよ』
長身三人組に圧力をかけられれば、さすがの林麻子も後退し,階段を一段上った。それを契機にかさにかかって段を踏みしめるユーゲント。
『あ,ああ,林さん!』
村西沙耶が声をうわずらせて急接近する。
『沙耶,来なくていいからちゃんと撮ってっ』
厳しい一声に、乱れかけた画像が必死に体勢を立て直す。
男たちは胸を張って押しつけるだけで手は出そうとしない。暴力行為ととられないための対応策なのだろう。押し戻そうとする林麻子もだから手足での攻撃を繰りだせない。押しくら饅頭の一進一退。しかし男女の体力差に多勢に無勢である。三人組は優男に見えても鍛えているらしく足腰が強靭だ。やがて林麻子の作った人間バリケードの隙間から,一人が強引に抜けだして突破しにかかる。
『――こらっ,行くなオマエ!』
すり抜けざま,不可抗力を装って,男の肘が彼女の胸のひとつを突き潰しているのがはっきりと映っている。Tシャツのふくらみが,柔らかな餅のように平らになった。使命感溢れる女子大生は痴漢行為に金切り声をあげるよりも,恩師の講演を死守できない焦りにかられて真っ赤になっている。男の腕をとっさにつかみ,引き戻そうとする。
『お,遂に暴行に及んだな。この過激派め!』
リーダーが大声を発し,襲いかかった。
『現行犯逮捕だっ。おとなしくしろ!』
大義名分を手に入れたとでも言うのか,何とも仰々しい芝居を打って,彼女を羽交い締めにしていく。狭い階段の踊り場だ。女子大生も若い身体を一杯に使って抵抗するので,激しい肉弾戦となる。林の肘打ちが顔面をとらえ,悲鳴があがり,その隙に拘束から逃れでようとする。しかしそこへもう一人が体当たりし,足払いを食らわすと,体重の軽い女子大生は簡単に引っくり返され,階段に腰から落ちた。なおも両足の蹴りで反撃を試みる彼女を,巧みにいなして,柔道の寝技よろしく押さえこむ。上半身の自由を奪い,俯せに返し,両腕を背中へねじりあげた。
『部室へ連行しろっ。諸矢さんが来るまで待機だ!』
『おい,カメラの方も確保! 公序良俗違反の現行犯だろ』
二人が林麻子を押さえつけている間,もう一人がカメラへ向かって突進してくる。
『沙耶,逃げて!』
声は届いたが瞬間の躊躇のおかげで,男の伸ばした手を避けきれず,カメラは鷲づかまれてしまう。
『やめろ!』
画面は掌に覆われてブラックアウト。
音声入力の許容範囲を超えた怒号の掛け合い。
カメラ争奪の綱引きが十数秒続いたのち『痛っ』という村西沙耶の悲鳴が響き,ついで画面に天井が現れた。
転倒したのだ。
しかしカメラは放さず仰向けの胸に抱いたままなのだろう。
天井がユーゲントに入れ替わった。
ベレー帽が少し傾いているが,甘いマスクは笑みをたたえている。
『もうそのくらいにしておけ。お転婆が過ぎると怪我するぜ』
位置関係からすると馬乗りになっているようだ。
『どきなさいよ!』
『わかっているよ,醜女の魂胆は。俺たちのようなハンサムに抱きつかれたいんだろ。だから無謀な取っ組み合いを仕掛けたりするんだ。前の女もそうだったぜ』
そういって真っ白な歯を見せてニタつく。
『畜生,どけ!』
『いい子だからカメラを渡せって。部室へ連れて行ったら,ちゃんとレディとして扱ってやるからよ』
再びカメラへ手を伸ばす男。奪われそうになり村西沙耶はヒステリックに騒ぎ立て始める。身体は不自由でも手足はかなり動かせるらしい。もはやアングルはデタラメで,四方八方の踊り場の様子を急回転しながら拾いまくる。
一瞬だが林麻子の姿も映った。当て身でも食らわされたのか,全身から力が抜け,背を男に預けている。もう一人が角瓶を振って琥珀色の液体を彼女の頭からかけていた。
画面はすぐにデタラメを続行したが,憶測は簡単だった。捕らえた女を部室――宗教関係のサークル?――へ連行するための偽装工作だろう。道中,誰かに見咎められても,飲酒が過ぎて酩酊を引き起こし、医療関係者に診てもらうのだと、弁明しやすくするための処置である。ブランデーの匂いでもプンプンさせていれば,顔はしかめてもそれ以上の追及はやめてしまうのが普通であるはずだ。
『おい,まだ手こずってんのか。さっさと鳩尾を突け』
『へへへ、活きが良すぎんですよ、この魚。でも三人で二人をあそこまで運ぶのは大変じゃないですか』
『二人三脚みたいに肩組み合ってよ。簡単さ』
『そいつは楽しそうだ』
笑い声に包まれる階段の踊り場。
その時だった。
笑い声を一瞬にして凍りつかせる怒声が轟いた。
『貴方たち,何をやってるの!』
美しい声だが真の怒りに震えている。
馬乗りの男も中腰に緩んだようだ。村西沙耶は男の股の間から抜けだし,カメラを声の主へ向けた。
『先生!』
三階のフロアに仁王立ちする女性こそ山本佳恵教授その人であった。
背後に数十人の女子大生を従えて,踊り場から階段にかけての乱闘劇を、こめかみに青筋を立てて見下ろしている。ブラウスの胸元のボタンが一つだけ外れていた。
『ベレー帽の諸君はとっとと女性から手を離しなさいっ。離さないと即座に警察へ通報するわよ!』
『・・・いや,我々はただ・・・』
リーダー格が言い訳しようとする横を,立ち上がった村西沙耶がさっと早駆けしていく。
『先生,カメラです。証拠はすべて撮影していますっ』
『よくやったわ。お疲れさん。みんなは林さんを助けて頂戴』
階段の中段で気を失っているゼミ長にとりつく女子大生たち。
カメラは踊り場で声を失って立ち尽くしている三人の白装束を映しだす。
『物的証拠がある以上,もう言い逃れはできないわよ』山本教授の叱責が飛ぶ。『星彗照世会も年貢の納め時だわ。貴方たちの勧誘活動が犯罪そのものだってことが明らかになった以上,大学当局も動かざるを得ないでしょう。首を洗って待ていることね。必ずこのキャンパスから追放してやるわ』
今度は,勝利を確信した女子大生たちの歓声と野次が,音声入力の許容範囲を飛び越えた。
三人のイケメン教団員たちが惨めに背中を丸めて逃げていく姿を映しながら,画面は黒画面へと終息した。

あやうくパソコンの前で果てるところだった。迫りあがってくる快美感を亀頭寸前で何とか阻んだ。十年若かったらあっさりパンツを汚していただろう。
やはり山本佳恵は良い。
象牙の塔の中だけでの明晰さにとどまらず,広く世知においても長けた能力を発揮できる頭脳の持ち主なのだ。加えて人間性の豊かさは学生たちの彼女への視線から容易に証明できる。理想の指揮官像の体現だろう。
林麻子も『薪』として素晴らしい素材だったのが確認できた。学生時代から将来の恩師越えは確実だったわけだ。
才色兼備の女弁護士――。
このビデオから十年ほど立った今,もっとメディアに露出してくれれば、私の『竃』も豊かな炎を加えるだろうに。
とうとう顔は拝めなかったが,カメラを死守した村西沙耶も逸材かもしれない。林麻子とコンビを組んでユーゲントに一歩も引かなかった根性は称賛に値する。この翌年,ゼミ長の席に座ったのは当然の成り行きだっただろう。
しかし,難攻不落と思われた山本佳恵が、この先,撃退した白装束の邪教集団に完膚なきまでに恭順するという,まさかの結末が待っているとは・・・。
さらに村西沙耶も卒業後の消息を確かめられない状態であるらしいし・・・。
ビデオの最後に教授の背後に見え隠れしたゼミ生たちの多くは,山本同様,謎の転向を遂げている・・・。
いずれにせよ、山本事件に隠された物語の前段はこれでじゅうぶんな展開を終えた。
難攻不落度の高さに、ヒロインの人気も物語への期待も、比例する。
驚愕の結末と前段をつなぐ最も重要な『転落の章』が『その三』で明かされるとしたら,私は体調の不良と野村妙子の恫喝に怯えながらも、新作小説をさらに50枚,書き継ぐことを中断できないのであった。


  クレア・ワトキンス

100枚まで残り10枚を切ったところで,私の顔に赤い湿疹が浮きでてきた。
もはやストレスで胃に穴が開きそうなくらいである。
体調の不具合を訴えると,私が条件闘争に走ったと勘違いしたらしく,野村妙子は自ら私のアパートにやってきたのだった。それも万が一に備えたつもりなのか,馬場由里子をボディガードよろしく引き連れての現地視察である。
「フムフム,これは本物の湿疹だわ」
憮然としている私の顔面を覗きこみながら、馬場由里子はしたり顔で頷いている。
「仮病じゃありませんよ!」
「ほら,興奮しない」野村妙子は卓袱台の前に胡座をかいて座った。「馬場は医師免許を持っているのよ。若い頃は海外でボランティア活動をしていたんだから」
「へえー・・・」
するとボディガードではなく治療のための同行だったのか。なぜまたソシアルなんかに――疑問は慌てて飲みこんだ。
「美人女医じゃなくて悪かったな」
屈託なく笑う丸顔はやはり多汗症からは逃れられないようだ。はち切れんばかりのブラウスも汗を含んで下着が透けている。さすがにこの肉のボリュームではノーブラは逆に煩わしいのだろう。
「まあ,たちの悪い皮膚炎ではないだろう。ストレスがなくなれば半日で全快する類いだな」
「これ以上続けたら,湿疹の中に目鼻が埋まってしまいます」
「ないない,それはない」野村妙子は即座に否定。
「私を担当する編集員は鬼ですから,怖くて安眠できませんし」
「まあ,野村が鬼だというのは同感だがね」
そう言って豪快に胸を上下動させた馬場由里子は診察をする気はもうないようで,扇風機の前に腰を下ろし――正座はもちろん胡座も苦手のようだ――涼風を独り占めする。
「――デブにクーラーなしは拷問だって」
「クーラー買ってください! もっと作家を大事に!」
「調子に乗らないの。これで我慢しなさい」
野村妙子は手にしていた紙袋から人気アイス店のパッケージを取りだした。珍しく半袖シャツにジーンズである。私服か。
「子供扱いだな。缶ビールくらい差し入れてくださいよ」
「今飲んだら,これから書けなくなっちゃうだろ。午前中は何枚書いたの?」
「・・・今日はさらに不調で一枚きり・・・」
ヤレヤレと鬼編集員は部屋を見回した。iMacを見つけると私の許可もなくスリープを解除してしまう。勝手知ったる他人の家,すぐに『海猫04』のフォルダを発見し,ファイルを開くと読み始めた。
――そしていつものように舌を鳴らす。
「最低でもヒロインの鞭打ちシーンは完成させないと」
「鞭打ちは一番難しいのです。読者のイメージが映像として出来上がっていますからね。新鮮味を出すのは至難の業です」
「技が底をついたら,やることは決まっている。五感に訴える女体描写を連発すりゃいいのよ」
SM作家の尻に追い鞭をくれるのが堂に入ってきた野村妙子。SM雑誌黄金期の1980年代だったらやり手の編集長になっていただろう。
「野村さんは女王様プレイで『ドS』ができますよ」
「そのへんをスカウティングされて,今回出羽健先生付きに抜擢されたわけだからな」と馬場は立ちあがり,冷蔵庫を開けて物色し,トマトを掴みだす。
「降格人事でしょ。左遷だよ,まったく」と野村。
馬場はキッチンで塩を見つけ,丁寧に水洗いしたトマトへ振りかけ,それを丸かじりした。
「しかしさすが完全主義者の野村。担当が決まってからというもの,団鬼六,千草忠夫,杉村春也,結城彩雨・・・主立った作家の作品はすべて読破していたものなあ。日本一の変態小説女性読者かもしれない」
「凄いんですねえ,野村さん。本当はツボに入ったのじゃないですか?」
野村妙子は無表情のまま失笑する。
「SM小説を読むことほど簡単な作業はないって。ストーリーもキャラクターも同じ設定の繰り返しだからね。5ページ飛ばしながら読んだって完璧なレポートが書けるわよ。欠伸を噛み殺す努力がやや難儀なだけ」
「Homer Vargas氏の作品はどうです。海外の小説も読んだんでしょう」
何といってもHomer Vargasの代表作はフェミニストが淫売へとマインドコントロールされる展開がしつこく登場するので有名である。
「アメリカでのブッシュ時代――女性史的にはポスト・フェミニズムと言いだされた時代――に影響されてあるいは触発されて想を練ったというところね。出羽健氏よりは頭が良さそうだけど,ストーリーに破綻が目立つ作家よね」
さすがに読み通しているようだ。


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