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序 - 本文より -

私は生唾を呑みこんで尋ね返していた。
「・・・十月十日を十年間・・・人格を入れ替えながら・・・?」
そして今度はあからさまに足下のウーム・オーブを覗いてみた。
防声処置もされているし,この体勢でもあるし,表情はそもそも豊かにはなり得なかったが,瞳の輝きだけは変化を残していて,今のこのフェミニストの双眸は、愕然とした恐怖の中に哀しみの色さえ混じっているのだった。
「そういえば『十』の三並びですな。さすがは先生だ。言葉の響きに敏感でいらっしゃる」
教祖は笑ったが,私には初めて彼の声が狂気じみているように聴こえた。
「数字の三並びが我々の教典で不吉とされているというのは俗説です。もっともラッキーナンバーであるという話も我が国の遊戯産業の都合にすぎませんから取るに足らんわけですが,このケースでは縁起のいい数列と考えておきましょうか。どんな親を持つのであれ,赤子の誕生は祝福されねばなりません」
私は立ちあがった。
「しかし,いくらなんでもやり過ぎでは? 発狂してしまいますよ」
彼は答えずにただ微笑むだけだ。

・・・そう・・・そうか・・・そういうことか・・・

つまりこれは罰だと言いたいのだろう。
洗脳でもマインドコントロールでもなく処罰――。
自分たちに敵対した人間へ振り下ろされる鉄槌なのだ。
この女は十年の歳月をかけて処刑されるのである!

――――

「出羽健書蔵庫」を開設してから、はや七年が経過した。
それまで十数年に渡って書き留めておいた膨大と言っていい文章を整理し編集し、僅かずつでも発表公開し、また新たな小説を書いて連載し、出羽健にとって門外分野であった3DCGなどにも手を染め、失敗と怠惰を繰り返しては何とかここまでやってきた。暮らし向きは以前とほとんど変わっていない。場末の町の安アパートの一室に巣をつくり、週の半分をアルバイトに使って生活費を稼ぎ、もう半分を変態創作に費す、わかりやすいと言えばわかりやすい、しかし、わかりにくいと言われても当たらずとも遠からずの、なんとも自己充足的な人生を細々と続けているのである。当然、富や名声や名誉には無縁であり、家族や友人に恵まれる人生でもなかった。もしインターネットが発明され普及していなかったら、私は壁と冷蔵庫の隙間でひからびて死んでいるゴキブリのように、ほとんど誰の眼にもとまらずあっさりと一生を終えていただろう。それがあったばかりに、ネット空間限定ではあるものの変態の友人ができ、変態のファンが生まれ、驚くべきことに浄財を払って私の可視化された妄想コンテンツを購入しようという諸兄にまで遭遇している。かつて世間などは私の妄想を検閲し裁断し隠蔽しようとする学校教育現場のようなものでしかなかったが、それがあったばかりに、今や世間は私の妄想の竃に火を起こすための薪を供給する雑木林のようなものにもなった。私は慎重に世間と折り合いをつけ、品質のいい薪だけをくすねてきては私の妄想を生き長らえさせてきたのだ。この七年間は、まさにその反復の年月だったのかもしれない。

卓上のカレンダーを眺めれば七月に入ったばかりのこの日、私はまた新しい小説を書き始めることにした。
長い長い終わりの見えぬ創作の日々が帰ってきた。


  潜入取材記者

私はパソコンの画面に映る【野村妙子】なる人物から届いたメールにかなり困惑していた。
それは私の契約しているメールボックスの迷惑メールフォルダにすら分類されず、悠々と中心のフォルダに滑りこんできたからである。HPを開設して、ある時期より、私は自分へのメールをHP内に設置したメールフォームからしか受け付けないように設定し直していた。日々増大する悪質メールの質と量はそれらを処分する手間隙の無制限の増長をもたらして私の創作活動に影響を与え始めたからだ。以前公開していたメールアドレスはフォームを通過してくる正規のメールのみに有効なアドレスとして限定した。それ以外のルートから混入してくるメールについては何重にもフィルタをかけ遮断していた。もちろんそれも完全ではなく、月に数通程度、「漏れスパム」が入ってきたが、おかげでほとんどは迷惑メールフォルダへ流れこんでくれていた。それなら舌打ちのみで眼を汚す必要もなく、二、三日後の自動消去に任せて黙過できるわけだった。
ところが【野村妙子】メールはそのどれをもすり抜けているのだ。
着信を許可している変態友人のアドレスでもない。フォームからの送信であればこちらで設定している題名が件名の欄に記されているのだが、これは空である。題名が空欄の場合も遮断されるはずなのにフィルタが無力化されている。意図した工作であるのなら、私が知る限り、ハッカー並みの能力でもなければできない仕業にちがいなかった。
躊躇したが、私はようやくメールを開封した。ウィルスの存在は検知されていない。
・・・一行目を読んだ瞬間に、私は座高が縮むほどの衝撃に見舞われた。
馬車の駆け足のような動悸すら自覚するほどだ。
そこにはこう書かれていた。

「出羽健こと○○氏へ。我々は貴方に面会を要求する。」

○○の部分には、驚くべきことに私の本名が記入されているではないか。
個人情報が漏れている!
舌が乾くのを自覚しつつ,私は全文を読みだした。

「きわめて重要かつ緊急な案件について、我々は貴方に面会する必要性が生じた。案件の詳細はメールでは明かせない。直接面談しよう。下記の日時、場所に来られたし。もし貴方が面会を拒否した場合、貴方の今後の利益と不利益について我々は一切の責任を負うものでない。」

そして私の個人情報のリストが貼り付けてある。
現住所、電話番号、生年月日、本籍地、職歴、学歴・・・。どれも正確なのである。
内容はそこで終わり、面会の日時場所が記されていた。町の中心部にある喫茶店がその場所。明後日の午後三時だ。
最後に署名が書かれている。

「雑誌『ソシアル』編集部記者 野村妙子」

一体全体、このメールは何なのだ。
悪戯? にしてはあくど過ぎる。個人情報リストは立派な犯罪行為だろう。脅迫? と言い切ってしまうのも首を傾げたい。この私が、こんな大見得を切ってまで会う価値のある人物のわけがない。金もなければ権力もない、ただの変態妄想人間だ。しかしいずれにしても、私の安全とプライバシーが完全に第三者の管理下に置かれているのは明らかと言える。メール本文で露骨に示唆しているように、彼らがその気になれば、私のネット上でのいかなる行為もサイバーテロの標的になりうるだろうし、私の個人情報を私の本意ではない状況下へ漏洩するのも簡単だ。金もなければ権力もない、ただの変態妄想人間の私がそれに抗うのは不可能に決まっている。
私はもう一度、署名に目を戻した。

「雑誌『ソシアル』編集部記者 野村妙子」

何者だ? 名前や身分を堂々と書いてある。ネット犯罪者なら匿名が常識だろう。さもなくばご大層なハンドルネームを綴る軽薄さがお似合いのはず。野村妙子とはまた地味な名だ。ひょっとして実在者の本名ではないかと憶測させる微妙なセンをついている。そしてそして・・・・
女性記者――
出羽健書蔵庫の読者であれば、この響きに惹かれぬ者などいるだろうか。むろん張本人である私にとって、完全に「萌え」であるのに決まっている。そうか、と鈍い私もようやく疑り始めた。この署名は餌? 甘い香りを放つ餌? これに食いついてこいと露骨に鼻先へぶら下げる、危険な鋭い針に刺さった餌? 食いついたら釣られるとわかっていても、ガブリといくしかない変態妄想人間の業を熟知した狡猾な罠? すると個人情報の強奪がムチとすれば、こちらはアメということになる。この推理が的を射ているなら、野村妙子は出羽健書蔵庫をよく理解した,老練な策士だ。
アメとムチの操り糸に吊り下げられた関節の少ない人形のように、私は検索サイトのページを開いていた。
『ソシアル』? 初耳の雑誌である。検索窓に『ソシアル』と『野村妙子』とを書きこむ。検索ボタンを押す。
――さすがにヒット数は少ない。二ページ未満で足りる量だ。それでも検索できた事実には目を見張った。雑誌『ソシアル』のオフィシャルページが存在するのである。署名はただの虚偽ではなかったのだ。いや待てよ。サイト自体が偽物である可能性だってある。ちょっとしたフィッシング詐欺ならこれくらいの手間は惜しまない。慌てずにリストの最初に表記されている候補をクリックした。
そこはHP内にある編集員を紹介するページであった。
編集員は六名、全員が女性。
簡単な略歴と、編集長のみ写真も載せてある。
『野村妙子』は編集長の欄のすぐ下に位置していた。すると副官? 年齢は34歳。A学院大社会学部卒。のちに米国へ留学して女性学専攻。帰国後、女性の権利に関するNGO組織に従事。一年前より現職、とある。A学院大社会学部といえば数多くの研究者や論客を輩出している日本のフェミニズムの牙城だ。その後の履歴から言ってもまず間違いなく筋金入りのフェミニストであるのがわかる。他の欄の女性たちも履歴は似たようである。
編集長(佐々木久子・46歳・T大経済学部卒)の写真は仕事机を前にしたバストショット。グレーのスーツジャケットに内は白シャツで襟を表へ返した典型的な働く女性の着こなし。やや丸顔の輪郭にゆっくりと波打たせた黒髪をなぞらせて肩までおろしている。年齢の割に脂肪がついていないような気がする。美人とはいえないが十人並み以下ともいえない、これまた微妙なセン。
偽りのプロフィール・・・タレントを使った公開写真・・・そういうフェイクサイトも多いだろう。しかし端々に感じるリアリティは信憑性の高さを示しているような気もする。
私はHPのトップページへ移動した。
『行動する女性のための雑誌』を標榜する『ソシアル』は、創刊二年目のまだ若い雑誌であるらしい。元々は米国・サンフランシスコに本拠をおく戦闘的フェミニスト団体の理論誌『social』の日本語版として立ち上げられたものだ。当初は翻訳が記事の中心であったが、現在の編集長佐々木久子が就任以来、日本独自の方針で編集が行われているという。姉貴分の『social』にはポルノスタジオの襲撃方法まで書かれていたそうだが、さすがに我が国では『戦闘』の文字が『行動』に変えられており、非合法の活動を煽動するような文章は扱われていない。
とはいえ、一般的な女性誌と一線を画しているのは明白である。政治的社会的テーマが多く、寄稿しているライターも大学の教授クラスがほとんどを占める。
もう一つの特徴は、潜入取材を基にした暴露記事の特集の多さ。標的はいずれの場合でも社会に根付く『sexist pig』であるのはいうまでもない。例えばバックナンバーから、今年二月の特集では、ある地方大学の集団的セクハラ行為を告発しているし、四月号では主に若いOL層を餌食にした悪徳催眠商法を俎上にしている。どちらも記者自ら潜入し身体を張って証拠をつかむやり方が共通していた。
なるほど、こうした隠密活動が得意であれば、出自も出自であるし、サイバーテロのノウハウくらい簡単に仕入れられるかもしれない。
私はそこでとりあえずHPを閉じて考えをまとめることにした。
どうやら『野村妙子』は実在し『ソシアル』が雑誌を発行しているのも本当らしい。100%の確証は難しいが、勘を含めて事実と見る。彼女たちが行動的フェミニストなら、世界に冠たる我が国のポルノ文化の、末席を汚している出羽健書蔵庫を攻撃対象に選んだとしても納得できないわけでもない。他にいくらでも対象にして効果的なポルノメディアはあるはず、など、疑問を呈するのはいくらでも出来るけれども、例えば、ネットポルノ文化粉砕一掃計画のためのテストケースとして選ばれたとか・・・。
腑に落ちない点があるとすれば、『ソシアル』の如き私の変態性欲嗜好のど真ん中の雑誌社の活動が、二年間も出羽健書蔵庫のアンテナに引っかからなかった事実のほう。あの潜入取材特集の事件がもし裁判沙汰となってマスコミ等に流れていたとしたら、出羽健がそれを目にしていないはずがない。変態性欲嗜好のツボを刺激する『薪』であれば、どんなに疎遠な言語で書かれたページであっても鼻先を突っ込まずにはいられない出羽健である。自国の情報を見逃すなんてあり得ない。そもそもそんな事件は存在しなかったから、という以外の理由を、私は全く考えつかなかったのだ。
だが何より重要なのは『野村妙子』が私に面会を申し入れている現実であろう。
『野村妙子』は潜入取材記者である。
Investigating Reporter である。
出羽健的嗜好上の憧憬だ。どうしてそれを無視できるのか。無視すればこれまでの私の人生は無駄になる。下手を打てば出羽健書蔵庫閉鎖の危機であるとわかっていても、明後日の面談を反古にするわけにはいかない。
私は約束の喫茶店に赴く決意を固めた。


  SM殺人の真相

地下鉄駅からの階段を上り切ると、足下まで包みこむような曇り空で、小雨が道を濡らしていた。
腹をくくってしまえば恐れる必要はない。失うものはほとんどなく、あったとしてもそれらはすでに『野村妙子』たちの手中にあるのだから、こちらがジタバタしても始まらなかった。
その喫茶店は駅からすぐ近くの路地の中の、寿司屋が有名なビルの二階にあった。見上げれば茶色のスモークガラスの窓に大きく『喫茶』と書かれている。
私は店の扉を押し開けた。
中は広いのか狭いのかわからないほどに暗く、二人掛けの椅子を左右に挟ませたテーブル席が分厚い仕切りで囲まれて半個室化していた。
男性マスターと女性店員一人が私へ敵意に近い一瞥をくれた。
ここは密会・密談用の喫茶店なのだろう。
指定された時刻からはまだ十五分、余裕があった。
どの席にもそれらしき人影はなく、私は適当な場所を選んで座った。向こうが呼びつけたのだ。向こうが勝手に見つけ出せばよい。
珈琲を注文してつまらない週刊誌を開き、湿気った頁を指で伸ばしながら詰碁を解いていると、その時刻が来て、と同時に、何ら逡巡もなく、私の前の席に、アタッシュケースを持った灰色のコートの女が座った。
「――もっと喜べば?」
それが女の第一声。
「は?」
「美人雑誌記者のご登場じゃないか」
少し濡れたショートヘアの下で、真っすぐにこちらを射抜く視線は、僅かな媚や怖れも排除した、はっきりとした目から直進していた。
「野村妙子さん?」
「うん、そういうこと」
「どうも。出羽――」
「・・・やっぱり暑いから脱ぐわ」
私の言葉をまたぎ越えるように、野村妙子は立ち上がり、コートを脱ぎ去った。中のツーピースもグレーだ。ジャケットにスラックス。オフホワイトのシャツ。
「身体を品評されるから脱ぐなって忠告する同僚もいたんだけどね」
野村妙子は店員にコーラを注文する。声だけなら女優の中谷美紀に似ている。
「で、どう?」
「は?」
「変態フィクションのヒロインとして私はどう? たとえば何とかいう貴方の小説に出てくる新聞記者小沢ユキちゃんと比べてどうよ? 少しは食指が動くかな」
タイトル何だっけねえ、あの名作は? と、野村妙子はアタッシュケースをテーブルに置き、付着している雨粒を小指で払いながら言うのである。
「――乗っ取られ女学院、です」
「そうそうそれそれ」
フェミニスト記者の笑いは当然失笑の響きであった。まったく、自分の小説をからかわれるのは、ブリーフの汚れを指摘されるのと同じである。彼女の履歴を信じれば私より十五は若いわけだが、たった三十秒のやり取りで、主導権は完全に彼女のものとなっている。最前線での場数も多く踏んだ、有能な女性ジャーナリスト・・・思わず精巣が縮み上がる。顔も中谷美紀似だったら暴発していただろう。
「あんな長編、読んで頂いて作者として感激ですな」
「いやいや他の小説もすべて読みましたよ。まあ徹夜はしなかったけど」
「そんなに熱心なファンだとはますます感激です」
「雑誌編集の仕事というのは無駄な文章を読むところから始まるの」
飲み物が運ばれてきた。それには手をつけず、野村妙子はケースの留め金を外した。
「さて本題に入るとするか。ソシアルのホームページ、閲覧済みですね?」
「はあ・・・まあ・・・」
「なら話は早い」ここで三毛猫のような微笑。「デスク――編集長の写真、ダウンロードしたね? 編集員全員で賭けをしているんだ。貴方がその写真でマスターベーションをしたかどうかをさ」
「・・・やはり雑誌社の組織的行動ですか。貴方の個人プレイではなく」
目が暗さに慣れてきてようやく彼女が色白であるのに気がついた。
「個人的に言えば、出羽健氏は最も忌避したい男性よね」
「まあそうでしょうけど・・・」
「話を聞けばわかりますよ。すべての謎がね」
野村妙子はA3サイズ用のケースから分厚い紙束の詰まった封書をとりだした。封書の中に、優しげでほっそりした指をつき入れて銀行員が紙幣をさばくように指先を動かすと、一枚の切り抜きをつまみ上げ、そして私の前に置き、五本の指をのせた。
「知っていますか? この事件――」
爽やかな匂いが漂ってくる彼女の指から記事を手に取った。
「ああこれね」
「やっぱり知らないわけないよね」
野村妙子は感心しているのではなく呆れているのだ。

『宗教法人本部内でSM殺人か!』

などと、当時の週刊誌がショッキングに書き立てた事件。半年前・・・かな?
ある朝、M県S郡にある宗教団体『星彗照世会』(セイスイショウセイ・カイ;そう、あのカルト教団だ)の本部家屋内で女性が意識不明になったと救急に通報が入る。女性は団体の幹部。全裸で荒縄により緊縛されており、口にはボールギャグがはめられていた。
通報者は『星彗照世会』教祖、太良一玄梦(タライチ・ゲンム)以下男性三名。
すぐさま病院へ搬送されたが三十分後、死亡が確認される。特異な状況であったため病院側から警察へ通報。事件となる。教祖らの供述によると、死亡女性にはSMプレイの趣味があり、事故当日も男性信者と密室にこもって変態情事に耽っていた模様であるという。女性がいつも教団で行っている祈祷の祭礼に欠席したことからおかしく思った同僚幹部が彼女の部屋を訪れたところ、意識不明の当人を発見、すぐさま教祖を呼び、そして救急に連絡した。
実況検分や教団内外の聞きこみから死亡女性がSM趣味をもっていたことや、頻繁にプレイを行っていたことはほぼ立証できたし、幹部に付き添われて出頭した、プレイメイトであると主張する男性信者の供述にも矛盾がなかったため、過失致死として処理された。じっさい全国紙はその手の報道をしていたはずだ。
週刊誌が必要以上に騒ぎ立てたのは、『星彗照世会』に暴力的な紛争を引き起こした過去があったからである。
強引な信者勧誘や体罰を思わせる教化、反対者に対する過剰な嫌がらせなど、社会との軋轢はたびたび表面化した。もちろん例のA真理教事件や自身が起こした『山本教授事件』以来、活動をソフト化させたといわれ、最近は落ち着きを見せていたはずだったが、内部でこんな猟奇事件が発覚すればマスコミが励起したのも当然といえば当然である。

曰く『あれはプレイではなく拷問死だった』
曰く『被害女性は教祖の第四妻』
曰く『プレイメイトは信者ではなく教祖本人』
曰く『男尊信仰の生け贄』――

(『山本教授事件』にはあまり触れていない。微妙な経緯をたどった事件でもあり週刊誌のネタにはなりにくかったのだろうか・・・)
もちろんそうした噂は教団によって黙殺されあるいは完全否定され、警察も動いた形跡はない。ひとえに変態性欲のある不信心者の女性の不始末として説明され収束していった。
私はコップに差したストローを弄んでいる野村妙子の表情を盗み見る。
ショートとはいえ額は隠れる黒髪の長さだ。化粧はほとんど無しだが、眉は描いているようである。
bra burning だろうか。ジャケットが邪魔でよくわからない。
・・・切り抜き記事の中には星彗照世会の沿革と解説も載っている。
そもそもは米国の狂信的宗教保守派団体『Liberty of liberties』の分派らしいが、本家が進化論の否定や遺伝子技術による受精卵研究反対、第三世界飢餓国への紐付き援助(わが宗派へ改宗すれば飯を食わせてやる等)といったかなりスケールの大きな『活躍』を見せているのに対し、星彗照世会は主に伝統的家族観の継承と復活を唱える、どちらかとえいばドメスティックな問題に運動の重心を置いて勢力を拡大しているようだった。当然それはフェミニズムとはあらゆる側面で衝突してくる。妊娠中絶などはもってのほかであるし、避妊薬も認めない。女性の就労は男性の補助的なものに限定し、専業主婦こそ理想像。出産と育児のためにその全能力を傾けるべき。そしてそれは生物学的に見て最も無理のない女性の在り方であると断定している。
「・・・たしか女性ならスカートを履け、ズボンを履くのはふしだらだというのもありましたっけ・・・まるでネアンデルタールですよね、こいつら」
私は切り抜きを返しながら野村妙子の表情を探る。少しむっちりとした鼻頭と少女のような唇で嘲笑を形作りながら、フェミニスト雑誌の敏腕記者は再び封書から、今度は一枚の写真をとりだした。
若い娘の写真である。二十代前半だろうか。かなりの美人である。
「死亡した女性よ」
「ほう・・・」
そういえば星彗照世会の女性信者及び女性職員は、例外なく美形でプロポーション抜群なのだった。そこがまた男尊教団と言われるゆえんでもある。フェミニストにとって眉を蹴立てる部分でもあろうか。
「森本美咲。二十四歳。一年前に一度だけ、ソシアルが情報提供者として接触したことがあった」
「・・・」私は写真を見返した。「潜入しようとしていたんですか? 星彗照世会に」
私は顔を上げ、モノをねだる子供のように野村妙子へ上目遣いをする。
「裏ではずいぶんインチキなこと、やっているからね。連中も」
「待てよ。するとこのSM殺人は諜殺・・・まさか」
野村妙子はうっすらと目尻を下げる。
「まさか――」
小首まで無実の鹿のようにかしげて続けた。
「――それはないでしょうね。接触は一度だけだったし、彼女もまったく消極的だったから。正義の内部告発者というより、痴話喧嘩の果ての当てつけで密告に走ったって感じだったもの。太良一玄梦のハーレムの権力闘争は大奥並みよ。結局たいした情報も得られず、それっきり」
双つの掌を左右へパッと広げた。
「だいたい想像つくかと思うけど、星彗照世会とソシアルはアメリカ時代からの因縁の関係と言っていいわね」
そうか、どちらもアメリカからの輸入品。かの地でも対立関係にあったのだろう。極東の島国で代理戦争だ。
「ガードが固くて内部に入りこむのは成功していないけど、我々も何度か連中に煮え湯を飲ませている。サイトで見たんじゃない? H大学の集団セクハラ事件とか、自己啓発セミナーを騙った催眠商法の暴露とか、あれみんなそうよ」
「星彗照世会が噛んでる?」
「ダミー組織をいくつも通しているけど、裏で糸を引いているのは連中」
「そうそう、そこが一つ謎だったんだけど、例えばその二つの事件、マスコミに載りました? 僕は全然、目にした記憶がないのですが」
「さしもの出羽健氏の鼻もそこまでは嗅ぎつけなかったか。いつもはトリュフを探し出す豚より鋭いのにね、変態嗅覚」
野村妙子は歯牙にもかけないほどの格下チームと試合をしている高校野球のエースのよう。次の決戦のためだけの、計算済みの試合運びを予習しているのだった。
「連中も色々と学習している。信者勧誘やサイドビジネスの方法論ばかりではない。マスコミ対策や当局対策といったリスクマネイジメントも進化させている。行動が頓挫したときにどう立ち回れば最小限の傷で切り抜けられるか、90年代の前例から倣っているのでしょう。いけすかない連中よね」
「『山本教授事件』も結局、彼ら自身の得になったのかどうか、判定は難しいところですよね・・・」
融けて小さくなったコーラの氷を飲み、口中で弄ぶ野村妙子。三十代半ばにしては綺麗な肌の頬が丸い凹凸を移ろわせていく。舌を湿らしたのち、語りだす。本邦フェミニストのトラウマ『山本教授事件』については一切無視するつもりらしい。
――ソシアルも積極的に広報をしていないのが実情という。彼女たちの目論みの中心は、そうした星彗照世会の周辺部分のモグラ叩きではなく、本丸への痛撃だからだ。すなわち内部に潜入し、太良一玄梦の真相を暴き、星彗照世会の犯罪性の確証を握る。社会に無数の触手を入りこませ、男尊教を浸透させようと企む不倶戴天の敵の中枢を破壊する――これだ。
「そこで白羽の矢が当たったのが――」淡々と決め球を投げこんでくる行動的フェミニスト。「出羽健氏、貴方ですよ」
「へ?」
「潜入取材記者として適任であると、我々は結論したの」
「・・・私・・・なんで?」
「さっきの森本美咲ね。彼女から得たつまらない――とその時点では解釈していたんだけど――情報とは、すなわち貴方の件だったのよ」
人工色をひいていない唇だが、少し濡れており、艶がある。
「ご説明、お願いします・・・」
「簡単よ。太良一玄梦には,依存といっていい強固な嗜虐趣味があり、セックスはすべてそれをベースにした倒錯プレイにより進行する。もちろん彼はサディストの位置ね」
ハーレムの女性たちはマゾの役割を要求される。まさに男尊教の教祖だ。対人プレイばかりでなく、妄想による陶酔も日常的に情欲のはけ口として用いており、それへのフィクションの利用は底抜けのバケツのように自制が効かない。古今東西の文献、視聴覚資料のコレクションは地下倉庫の一つのフロアを占有するほどで、中でもここ最近のお気に入りは出羽健書蔵庫なる素人変態作家のサイトであった。
「貴方の小説への傾倒はハンパじゃないらしいよ」
「ほう」
「すべての小説をプリントアウト――それもちゃんと縦書きに――して製本して、最も手に取りやすい本棚の位置に並べているっていうんだから本物よね」
泥で作った団子を褒められた幼児のような気分。素人作家には最大級の褒賞である。
「さらに小説の設定や登場人物のキャラクターを構成し直して、対人プレイにも利用しているんだって」
「シチュエーションプレイですな。――我々の業界では、ツボにハマった、というんですがね。変態性欲には社会的身分も知能指数も関係ありません。『己の嗜好には抗えない』この一点だけが現実です」
私はゆっくりと珈琲をすすった。本日初めて味わう勝利感。
「あ、CGのほうは興味ないらしいよ。絵は下手だって。絵物語ナンタラっていうのは無視しているらしい。残念でした」
突如珈琲が冷えきっている事実に気づく。勝ちと負けはコインの表裏。私のコインは鼻息でもひっくり返るアルミ貨だ。
「出羽健先生もわかりやすいわね」動揺する私の表情筋を追って、野村妙子は少なくとも声色だけ良心の呵責を感じさせるものに変化させて続けた。「それでも太良一玄梦は毎週の閲覧を欠かさず、小説への復帰を熱望をしているらしいよ」
「・・・どこまで本当なんだか・・・」
「いやいや本当ですよ。だいいちあの教祖は小説時代の貴方にファンレターまで出している。覚えているんじゃないかな、ハンドルネームはすべてカタカナで『ヨシオカチャン』――」
私は呼吸を忘れしばし言葉を失った。
ヨシオカチャンは実在する。
サイト開設時から小説の掲載を小休止させるまでの数年間、新作ごとに感想を送ってきてくれたヘビーユーザーの一人である。たしかに『絵物語・厳獄』を連載させると、いつの間にか疎遠になっていったっけ。
「・・・感想は文学の勉強をしていたかのように本格的な批評でしたよ。一度ご覧に入れましょうか」
「いや。貴方のパソコンのハードディスクの中身はすべて覗いているから」
「・・・」
「太良一玄梦を馬鹿にしてはいけない。かなりのインテリよ。アメリカにも留学しているし」
野村妙子は写真を指ではじく。写真はテーブルの上を回転しながら私の前まで滑ってきた。正確にはデジタル写真のプリント。携帯電話のカメラだろう。端正な顔立ち、鋭い目、アメリカならすぐにでもテレビ伝道師になれそうなセックスアピールを漂わせている。
「身長180センチ、若い頃はアメリカンフットボールをしていたそうよ。貴方の小説に出てくるサディストとは真逆のキャラクターでしょ。でも事実は小説より奇なり。変態性欲には社会的身分も知能指数も容貌も関係ないってわけね」
この顔で私の小説を読みながら股間を膨らましている姿は想像しにくいが、現実とはそういうものか。
野村妙子は身を乗り出した。テーブルの天板のうえに胸が前傾する。シャツの胸元が迫る感じ。首筋から付け根が眩しいくらいに白い。胸の豊かさにまで視線を移す勇気も隙もまだなかった。
「太良一玄梦が貴方の熱狂的ファンであるのは認めるわよね」
「まあ、ヨシオカチャンが太良一玄梦と同一人物であると断定できるなら、そういっても過言ではないでしょうな」
「森本美咲のこの件に関する密告は間違いじゃないと思う」
「でもウラは取れていないんでしょう? 痴話喧嘩の果てのチクリなんてどこまで信用できるのか・・・」
「出羽健さんならどうかな?」さらに背筋を伸ばして、「貴方の最もリスペクトする、つまり貴方がたの業界でいうところの『ツボ』の作家に会えるチャンスがあるとしたら、貴方はどんな手間をかけても会おうとするんじゃない?」
「うーん、作家というより重要なのは作品だからな」
『薪』はあくまで作品のほう。『花と蛇』級の新作を読めるのなら出来うる限りの努力をするだろうが、年老いた団鬼六氏に会いたいかどうかはわからない。
「なら大丈夫――」野村妙子はウインクでもしそうな機嫌の良さで言った。「出羽健先生は評判の悪い絵物語に見切りをつけ、今夏いよいよ数年振りに新作小説に取りかかる。それを掲示板あたりでそれとなくアナウンスする。どう、これなら?」
「・・・ヨシオカチャンが接触してくる可能性はあるでしょうが、太良一玄梦として乗り出してくる可能性は今まで通りゼロですよ」
「星彗照世会の本部があるM県S郡の近くのM温泉郷――ご存知よね?」
日本人なら誰でも知っている。草津や別府並みの認知度だ。
「今夏、著名な変態WEB作家数名が、そこでオフ会をやるらしい。六四式氏、赤川京二氏、村田幸次郎氏、あるいはアメリカからHomer Vargas氏などもゲスト参加の意向有り。もちろん我らが出羽健氏も書きかけの新作小説をひっさげてご登場よ。なおこのオフ会には各作家のファンも参加できるシステムになっております。つきましてはヨシオカチャン、貴方もご一緒にいかがですか・・・」
「――っ」
周到に張り巡らされたプラン。多少、机上で作りすぎたきらいはあるものの、これならちょっと覗いてみようかと、気持ちを揺さぶられる余地はある。太良一玄梦の写真はほとんどマスコミに出回っておらず名前を偽れば顔を晒しても気づく者はほとんどいまい。お忍びの夏期休暇に変態オフ会を選ぶ率がゼロとはいえない。
「そこで貴方がうまく立ち回って、教団本部内部にあるあの男の私邸に客として招かれればいい。同好の士には自分のコレクションを自慢したがるコレクター心理もあるからね。そこまで取り入ってしまえば後は楽でしょう。星彗照世会の暗黒の実態を迫真の文章でレポートしてくれればいいんだ。腐っても物書きなんだから朝飯前だわ」
「危険ですよ、いくらなんだって」私の金切り声は初霜がおりた朝の蟋蟀の鳴き声と一緒。「もしもバレたらただじゃ済まない。集団リンチでボコボコにされるのがオチってもんです。いや、腕の一本二本、へし折られる程度で終わればいいが、森本美咲のようになったら取り返しがつかないじゃないですか」
「だからあれは事故で――」
「確証なんか一つもないでしょう」
まあまあ落ち着いて、と、野村妙子は両手でなだめる。
「潜入取材だから危険が全くないとは言えないけれど、我々ソシアルのスタッフは何度も経験しているってことを忘れないで。サポートは完璧。いざというときの救出措置をいく通りも用意してあります。貴方は大船に乗ったつもりで、そうよ、太良一玄梦と一緒に極上のSMごっこを堪能するつもりでいればいいのよ。つまり自然体でね。貴方の変態性を存分に発揮すれば発揮するほど、このミッションは成功に近づくってわけよ」
野村妙子は椅子の背に上体を預ける。少し白桃色を帯びた左右の手指を組んで、エクササイズ無縁の、年齢的な寸胴感の出てきた腹部に置いた。
「出羽健先生のコレクションもご立派だけど――HDの中、MPEGやJPEGやTEXTで溢れそうじゃない。実際の事件の資料もかなりある――でも、太良一玄梦のそれは貴方を上回るでしょう。何しろ貴方とは財力がちがう。大富豪大貧民並みの差ね。貴方の予想もつかない『お宝』が眠っているのは確実と言ってもいいんじゃないかな」
変態sexist pig教祖を陥れるためのフェミニスト兵士たちの罠は、毒を盛って毒を制すの、古式ゆかしいアナログ戦法。敵を撃つ銃弾はこれもまた唾棄すべき害虫であるSM小説家。失敗したところで傷つくのはやっぱり『敵』なのだ。自分たちは手を汚さず、山の上から眺めていればいいだけだ。エリートが思いつきそうな茶番劇である。
いけ好かないのはお互いさまじゃないか。
私は立ち上がった。
「命をかけるほどの『お宝』? いくらなんだってそれは思いつかない」
美人潜入取材記者はもう十分に堪能した。半年竃の火を絶やさぬほどに薪は仕入れた。これ以上の深入りは分不相応。本物のジャーナリストを雇ってくれ。
「私は変態作家であって変態冒険家ではないんです。手の届かないところにお宝があるなら危険を冒して手に入れるより、自分の頭で創造しちゃいますよ。冒険家の適性があったらそもそもこんな人生、やってない」
「忘れないでよ」美人女優似の声色が変わった。「我々は『作家出羽健』を簡単に消滅させるだけの情報を握っているんだってこと。今の貴方から出羽健書蔵庫をとったら何が残るって言うの。これからの貴方に何が待っているというの。家族もなければロクな仕事もない、ただの変態性欲者としての貴方には、誰からも尊敬されない惨めな老後があるだけじゃないかしら」
こんな悪党の完璧なサポートを信じてカルト集団へ飛びこめと?
「作家生命だけじゃないよ」ドスを目前の畳に突き刺す迫力の啖呵。「児ポ法違反でお上に訴え出れば、即座にお縄にしてもらえる証拠が揃っているんだ。量が量だけに執行猶予がつくのは難しいだろうと、うちの弁護士も言ってるよ」
「馬鹿な。私はロリコンじゃない。違反するような画像や動画なんか――」
にたりと笑うフェミニスト運動家。
「まったくない? 言い切れる? あの画像の山に――海と言った方がいいかな――第三者がそっとその手の画像を忍びこませたとして、貴方にそれを否定するすべなんか、どっこにもないんだし」
進むも地獄? 去るも地獄? 立ち上がったまま、立ち止まってしまった。足下を見透かされるだけの、最悪の大根芝居。
「――手の届かないところにある『お宝』では不満、というなら、おや、ここに、手を伸ばせばすぐにでも手に入れられる垂涎の『お宝』があるんじゃないかな――」
だだをこねる子供を御すための、取っておきのアップルパイを、冷蔵庫ならぬアタッシュケースから掴みだす野村妙子。今や母親のように鬱陶しく私にのしかかってくる。
アップルパイはA4判のコピー用紙。数枚程度だろうが、最初の一枚に無造作に書かれたタイトルが砂袋並みの重さで私の腹を打った。

『レポート 山本教授事件の実相』

立ち上がり、立ち止まり、またもとの位置に腰を落とす。もはや猿芝居にすぎない。
「・・・畜生、こんなのがあるんだったら最初から出せよ・・・」
劇的効果を高めるためにここまで意図的に無視していたのだ。私の視線は野村妙子には向かず、ずっとレポート用紙に注がれている。私はふらふらと手を伸ばした。しかし用紙をつかむ前に、野村妙子の威勢の良い掌がレポートの上に乗せられた。
「これは部外秘の機密書類だから、こちらとしても決意を持って許可するの。読むんだったら貴方も覚悟を持ってもらわないと」
「・・・残念ながら貴方の勝ちです。手先にでも何でもなりますよ・・・」
「手先だなんて聞こえが悪い。仲間でしょう。同志と言ってもいいかな」
とうとう契約書に判をつかせた詐欺師のように、野村妙子はしてやったりの表情を冷徹な面相の下に隠している。今度は彼女が立ち上がる番だ。そのレポートだけを残し、あとの書類はケースにしまい、コートを肩にかけた。レシートを摘みあげる。
「さて、詳細のスケジュールは、週末にでも、うちのオフィスに来てもらって詰めるとして――」
あとでまた連絡するよと会計口へ、現れた時以上の軽いフットワークで見えなくなった。
私はレポートを抱え、途中のコンビニで食料を買う手間に苛々しながらも、さっそく帰宅した。精巣はすでに興奮のあまり融けてしまいそうだった。