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  村営キャバレーで働きなさい

 真樹は反論しようにも猿轡に押さえられてあたらくぐもった呻きをこぼすしかないのだ。見兼ねた野梨子は吉岡に勇敢にも抗議する。
 「こんなのあんまりだわ。あなたたちがこれを正当な取り調べだというなら彼女の主張もちゃんと聞くべきでしょう。すぐに猿轡を取って縄をほどいて上げなさいっ」
 真樹をねっとりと睨みつけていた吉岡の陰険な視線が女子大生の浅黒い顔に向けられた。
 「鳥居野梨子。私は女ゲリラのお前に寛大にも忠告をしたはずだぞ。余計な発言で取り調べの進行を妨げるようだと残念ながらお前にも猿轡を噛ませるとな」
 吉岡は横井にあごでしゃくった。横井はヤレヤレといった表情で青木を促し立ち上がった。マサオも続き、三人は野梨子を取り囲む。
 「さて、何さ咥えこむ? 隣の人妻のようにすっか、それともレモンのボールのギャグにすっか──」
 横井が野梨子の頭髪を弄びながらいった。
 「こいつの口はちょっとやそっとじゃ塞げそうにありませんからね。ひとつ強烈なやつをかましてやりましょうや」
 とマサオは自分の靴下を脱ぎはじめた。風呂もろくに入っていないのか、粉っぽい足がくさい臭いをさせて出てきた。横井も青木も鼻を摘むほどだ。
 「なーるほど、そいつさ押しこめばぐうの音もでねだろ」
 横井はいい、自分は鼠色の雑巾をどこからか、もってきた。
 「さ、口さ開けな──」
 「いやっ、そんなもの冗談じゃないわ!」
 しかし両手を後に縛られた身で三人の男の力にかなうはずもない。三四本の手が野梨子の顔をまるで百面相でも楽しむように掴み回し、口をこじ開けさせるとマサオの靴下が強引に押しこまれた。
 「グェッ──」
 目を白黒させて汚物を呑みこまされる野梨子。その上から雑巾を広げてがっちりと結びつける。異臭のせいだろう、野梨子は涙をボロボロとこぼしながら顔を盛んに振っている。
 「どうだ、俺様の靴下の味は。さぞやおいしかろうなあ」
 マサオは彼女のあごに手をかけて上向かせ、カリカリした表情の女子大生を痛快そうに眺めるのである。
 「鳥居野梨子二十一歳、女子大生。お前の罪は隣の淫売よりもはるかに危険で重大だ」
 吟味の矛先は野梨子へ向けられた。彼女もようするに真樹と同じで挙動不審の危険人物という曖昧な容疑をかけられているのであるが、婦人団が乗っていたトラックのアンテナを破壊した事実があるのでやりやすい。彼らは野梨子を蜘蛛巣村の山中で武装訓練をせんと企んでいる暴力派学生集団の斥候と断定するのだった。
 「どうしようもなく癇癪持ちのその荒い気性、自分勝手な論理展開、大衆を軽蔑する不埒な心根、どれもがお前を危険思想の持ち主と示している。これ以上、この村に徘徊させておけば蜘蛛巣村の平安ばかりか、わが国の秩序にも重大な危機をもたらすものと断ぜざるをえない」
 蛇のような表情のない吉岡の眼と充血して憎悪を滲ませている野梨子の瞳とがぶつかりあった。吉岡の視線はふとそらされ、縄を受けている彼女の平板な胸乳に注がれた。野梨子は多少鼻白み額に苦悩の皺を刻んだが、それもすぐに消え、再び攻撃的な、眦を吊り上げた表情となる。
 「村井真樹と違い、この女子大生が道を踏み誤ったのはその貧相な肉体へのコンプレックスからだと思われる」
 と吉岡はしたり顔していうのだった。
 「およそ男性との愛情とは無縁な容姿の持ち主が自分を受け入れてくれない世間に対する憎悪を日々つのらせていくのは有りがちな成り行きだ。健全な精神は健全な肉体に宿るの逆説的証明として、この娘の不幸はあげられるであろう。しかし、世間のブスがすべて危険思想に走るのでないのを考えれば、同情こそすれ、認めるわけにはいかない罪状であるのもまたたしかなのである」
 だからこそ身柄の確保は正当な行為であると吉岡は強調する。
 真樹はこの男の様子になぜ自分が狂気を感じないのか不思議でならなかった。言動や行動を考えれば常軌を逸しているのは明らかなのに、彼の自信に満ちた態度と語り口を目のあたりにすると自然に頭に入ってきてしまう。なんとなく説得力があるような気がして、このまま行けば本当に自分が罪を犯したのではと錯覚しかねない雰囲気をもっている。別にそれは異様な感情ではないかもしれないとも思う。ヒトラーを信じたのは一人や二人ではない。何百万人ものドイツ人が洗脳されたのだ。暴力と恐慌を巧みに操れば狂気を狂気と思わせないのはあんがい簡単なのかもしれない。この状況ではあっさり罪人にでっちあげられるのは避けられそうにもないが、自らそれを認めて白旗をかかげるのだけは拒否しなければならないと思う。それこそが狂気と一線を画す方策であり、きっとこの地獄から逃げだす原動力ともなるはずなのだ。
 「さて、お前たち二人にはふたつのコースが選択できることになっている。ひとつはこの調書を認めず──」
 吉岡がいう調書とは露出度の多い服装で村を歩いたとか、大声をだしてセックスをしたとか、生意気な口をきいたとか、胸が小さいのでゲリラになったとか、彼があげつらった嘘八百の理屈らしい。
 「正式な裁判を争う。その場合はこのまま蜘蛛巣村の地下簡易収容所で半年に一度巡回してくる移動裁判所を待ち、もし有罪判決を受ければ蜘蛛巣村地下簡易収容所が簡易刑務所としてお前たちの身柄を刑期満了まで預かることになる。満了後、お前たちは前科者として社会へ戻るわけだ──これはまったく法律に則って杓子定規におこなうコースといえる。しかしこれでは時間もかかるし、経費も人的資源も無駄にする結果にはなる。そこで蜘蛛巣村ではとくにボランティア条例を定めて弾力的にこれを運用している。つまりもうひとつの選択肢だ。まずお前たちがこの調書を認め、すべての罪を悔い改める旨の宣誓をし、正式の裁判を望まず、次に蜘蛛巣村の臨時職員として一定期間の労役に従事するならば、蜘蛛巣村はお前たちの告訴を取り下げ、争わない旨を約束するわけだ。もちろん前科がつくようなことはない。寝起きもこんな地下ではなくまともな家屋が割り当てられる。お前たちの気のもちようで精神修養、あるいは女としてのたしなみさえ身につけられ、社会復帰の一助となる可能性すら十分にあるのである。なお、これはヨーロッパの各国が徴兵を忌避した者に対し、刑務所に入れる代わりに社会奉仕に従事させる方法にヒントを得た、正当で進歩的な施策である点を強調しておく」
 吉岡は自分の演説が殊の外うまく行ったのに満足してセブンスターに火をつけた。
 「団長に代わって少し統計をいわせてもらえばだ」
 太田がノートをめくっていった。
 「わが国における裁判での有罪率は99.98%。過去にこのボランティア条例を選択した件数は十八件、正式裁判を選んだ件数は0件。つまり100%の人間がボランティアとしてこの蜘蛛巣村に何らかの奉仕をして社会へ戻っていったのだ。お前たちもその事実をよく噛みしめて我を張らず、我々に余計な手間をかけさせないで速やかに皆にとって妥当な選択をするように。わかったな」
 小汚い畳の上に並んで坐らされている真樹も野梨子も猿轡の中で開いた口が塞がらないといった表情である。これは恫喝であると二人は思った。今日のいま、初めてあった二人だが、十年来の親友のように顔を見合わせ途方にくれた視線を送りあうのだった。とても許せる話ではない。二人ともまったく強引にでっちあげられた冤罪なのだ。それなのにこんなひどい目に逢わせられ、そのうえ罪を認めなければ日も当たらぬこんなところに幽閉するというのである。気の強い彼女たちでなくてもすぐには承服できない内容であろう。
 本人の意思を聞くらしく、まず真樹の猿轡が取り外された。
 「村井真樹、三十二歳、主婦。この調書を認めるな?」
 吉岡の問いに真樹は激しく首を横に振った。
 「バカいわないでよ。誰がそんなものを認めるものですか!」
 口の端から唾液が垂れ落ちるのにもかまわず、真樹はまくしたてた。全裸を滑稽な拘束にあっているのも忘れている。
 「私は無実なのよっ──」
 と、あまりの噴辱にそこで言葉がつまり、胸に熱いものがこみあげてくる。夫の顔がオーバーラップしてきた。愛をたしかめあっていた絶頂から奈落の底に引きずりこまれた信じがたい現実を思うと怒りを通り越した憤りに人妻は冷静さを失う。唇がワナワナとふるえ、そして奥歯が鳴るのをどうしようもない。
 「──無実の私をこんな目にあわせて、あなたたちはいったい……。この上、半年も罪人扱いしようだなんてバカげてる! まったく話にならないわ。すぐにここから私を出しなさい。夫が黙っちゃいないわ」
 そこまで吐き捨てるように一気にまくしたてると、真樹は繊細でムチムチした肩を大きく喘がせる。入浴中に拉致されたから化粧っ気がまったくない素顔が青ざめてみえる。しかしちっとも美貌に遜色はなかった。三十代とは思えない肌の美しさゆえだろう。肌理が細かく染みや雀斑はほとんどみられないし、しっとりと落ち着いた透明感は思わず頬ずりしたくなるような感じなのだ。心底、怒っている内面的な激しさが何より肌を緊張させ、白磁の光沢を輝かせているようにも見える。
 男たちは真樹の美しさに見惚れていたが、もちろんそれを顔にだすような者は一人もいない。皆、自分らを告発するような真樹の魅力を軽蔑したように黙殺し、女をみるのではなく、ただ粗相を犯した犬や猫──動物なら裸でいるのも当然だ──でもみるような無感動な目つきを装っている。十二個の冷酷な視線を浴びて、真樹はチリチリとした屈辱感を味わったが、それでも気を取りなおして声を上げるのだった。
 「早く私を解放しないと夫が警察を連れて捜索に来るのよ。調書だの条例だの、わけのわからないことをいっているうちに、それこそあなたたちが刑務所に入れられてしまうのよ。それがわからないの」
 「黙れ!」
 吉岡がやおら怒声を張り上げた。
 「無礼をいうと承知せんぞ、村井真樹! 淫売のくせに蜘蛛巣村の温情あふれる措置を冒涜するとは許さん。よし、お前がその気ならこの収容所で暮らすがいい。半年後の望みのない裁判を心待ちにしながら、この地下で石垣たちとともに生活してみろ」
 憤然として吉岡は真樹の調書に判子をつこうとする。横井がそれをいったん押し止めて、真樹に向かっていうのだ。
 「村井真樹、本当にいいのんか? もう一度、頭さ冷やして考えてみてはどんだ? お前が考えてる以上にここでの生活は大変だんぞ。皆、最初はお前のように突っ張っているが、一週間もたたんうちに音をあげて自白する気になるんだ。俺は何もお前を唆してんでねえど。お前のために無駄な時間と体力を消耗させないためのアドバイスさしてるんだ。今すぐ素直に謝って、罪を認めるんなら心広い吉岡防衛団団長様にあっては寛大な措置さ講じて戴けるに違いないんだ。どんだ? 認めるな? 売春目的でこの村にやってきたんを?」
 「ちなみにこの女の夫は──」
 と太田が畳み掛けるように続ける。
 「女房が消えた件について、当初は我を忘れて取り乱していたようでしたが、レストハウスの女主人になだめられ、意見され、そして車も荷物も綺麗に消え去っている事実に気づき、誘拐説から失踪説へと傾斜しつつあるようです。さらにこの蜘蛛巣村には警察がなく、いちばん近い最寄りの警察署まででも50キロも離れた隣町へ行かねばならないこと、その警察も自分の管轄外といってもいい寂れた山村での些細な痴話喧嘩とおぼしき訴えを親身になって取り上げるとは思えず、まして貴重な人員を割くはずもなく失踪人届けの提出を求められるのがオチだとの女主人の話を納得し、まず東京に帰って気持ちを整理したほうがいいとの助言を受け入れた模様です。蜘蛛巣村では日に一本しかないバスの代行としてこの哀れな男のために車を用意し、上越新幹線の駅までの移送を決定し、夫もその申し出にいたく感激して従う模様です。出立は今夜十時半の予定──」
 「ああ……」
 真樹は絶望的な声をあげてがっくりと首を折った。これは地域ぐるみの犯罪なのだとあらためて思い知らされる。見ず知らずの、誰も知り合いのいない場所に一人とり残された人間は弱い。親切顔で近づいてくる人の良さそうな人間の言葉にコロリと騙されてしまうのも当然かもしれない。
 「どんだ、聞いたか。お前の夫はもう頼りにはならん。お前は見捨てられたんだ。この辺で諦めて自白したほうが身のためだ。一生懸命ボランティアすれば半年なんていわねえで二三ヵ月で帰るのも可能なんだ。認めんな、この調書?」
 横井は書類をヒラヒラさせて真樹を促した。
 「いやよっ」
 しかし真樹はきっぱりと拒絶した。
 「半年だって二ヵ月だって、一日だっていやだわ。あなたたちには私を監禁しておく権利なんてこれっぽちもないのよ。さあすぐに私を夫の元に返して頂戴!」
 真樹の剣幕に横井もヤレヤレといった表情で匙を投げる。
 「よしわかった。しかし後悔するぞ、村井真樹。すぐに泣いて頼んでくるに決まっている。早く収容所から出してくれと哀願するさ。今の強情のつけがどんなに高くつくか、すぐに身に染みるんだ」
 吉岡はむやみに大きな印鑑を彼女の調書にドンとついた。
 「──次に鳥居野梨子。声を自由にさせてやれ」
 猿轡は取り外されると野梨子は冷笑すら口元に浮かべて不敵な面構えである。もう、私の返事はわかっているでしょう、と言い放っているようだ。
 「答えはノーよ」
 彼らが何もいわないうちに野梨子は宣言する。
 「泣き寝入りさせようったってそうは問屋は卸ろさないわ。こんな卑劣な悪事がのさばるはずはないもの」
 威勢の良さはまったく気持ちがいい。クリクリと硬そうな浅黒い肌がそれだけで若さを主張している。
 吉岡は憮然とした面持ちで野梨子の調書にも同じ判子をついた。
 「よし、二人とも監房に収容しろ。しょっぴけ!」
 吉岡の言葉にさっと立ち上がったのは石垣ら三人だ。ここからは彼らの担当になるらしい。真樹はようやく二肢の戒めを外された。止まっていた血がすーっと流れ、爪先まで行き渡っていく、そんな気分である。しかし痺れが引くには時間が必要らしく、すぐには立ち上がれないでマサオと太田に両脇を抱えられるように立たされるのだった。
 野梨子の縄尻は石垣ががっちりと握っている。
 「ゆんまでもないが──」と青木。


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