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  連行

 「コラ、動くんでねえっ」
 二人は野梨子の剥き出しの二の腕を左右からがっしりと捕まえた。彼らも野梨子より頭半分程度ひくい身長だったので両側からこの野性的な美貌を見上げる形となる。南国の熱砂を思わせるような肌の匂い。指を食いこませた上腕部の弾力ときたらどうだろう。襟刳りの深い胸もとから乳首でもみえないものかと視線を這わせる。ノーブラであるのは明らかなのだ。
 「うン?」
 青木が小さな驚きを顔に表した。腋の下に差しこんだ手にサリサリと触れるものがあった。それが未処理の体毛であるのに気づくと彼は頓狂な声をあげた。
 「こいつ、腋毛生やしてんぞ」
 そして無造作に野梨子の腕を大きくあげさせて腋窩に鼻先を突っこむようにして覗いた。この田舎者は若い女の腋毛を眼にするのが生まれて初めてであったらしい。たしかに鼠蹊部を思わせるような肉の色をしたそこには黒い短毛が縦長に翳りをつくり汗に濡れている。
 「何するのよ!」
 破廉恥な男の行為に野梨子はカッとなって叫んだ。手を振りほどき腋をしめる。その拍子に肘が青木の獅子鼻にガツンとぶつかった。
 「痛ぇぇ」
 青木は鼻を押さえたがオバサンたちの失笑を買う羽目になった。
 「これこれ、つまらない真似はやめるんだ。身体検査は向こうへ行ってからするんだから」
 村長は青木をたしなめる。畜生、女子め、と口の中で罵りながら青木は忌ま忌ましそうに野梨子の腕を掴み直したが恥を掻かされた腹いせに指にこめる力はさっきの倍となる。野梨子は唇を噛みながら青木を睨みつけた。こめかみに青筋がヒクヒクと浮き上がっている。顔にも胸もとにもぶつぶつと生汗が光っていた。
 「婦人会の皆さんにはあとでお話の続きをお伺いすると思いますが、いつまでも公道を占拠しておるわけにはいかず、とりあえず村へ戻ってください。このたびは不審者の発見、拘束に協力して戴き、まことに有難うございました。村の安全と平和に多大な功績のあった事実を村民になりかわり厚く御礼申し上げます」
 村長は慇懃にそう述べると一礼して彼女たちの小型トラックを見送った。
 「ちょっと待ってくださいっ」
 野梨子は悲鳴に近い声をあげる。
 「私のリュック、置いていって!」            
 しかし婦人会のトラックは粉っぽい土煙をあげて遠ざかっていく。野梨子の全財産の入ったリュックサックとともに。
 「どういことです。私だけ捕まえてオバサンたちは帰しちゃうんですか? おかしいじゃないですか、私は何もやっていないんですよ。うっ、痛いわね! そんなに力を入れなくたっていいでしょうっ」
 二人の男に厳しく腕を掴まれて引きずられていきそうになるのを両足を踏張って抵抗しながら野梨子は村長に抗議した。
 「それにオバサンたちは私の所有物を持っていってしまったわ。すぐに呼び戻してくださいっ」
 村長はゆっくりと女子大生へ振り返った。三人は押し合いへしあいしながらしだいにワゴン車へ向ってはいるものの、大女を小男二人が扱いかねているといった様子である。村長は憲兵隊の隊長よろしく竹棒を玩びながら野梨子に近づいていく。
 「──今度は善良な市民を泥棒呼ばわりする気か。いい加減にせんと痛いめにあわせるぞ。アーン?」
 村長は先程までの態度とはうってかわって狂暴な気配を漂わせていた。竹刀の先を野梨子の鼻先に突き出し、今にもつつきそうなくらいである。
 「……こ、これはあまりにも不当だし不公平だわっ。何度もいうようですけど、私は何もやっていないんですよ!」
 「黙れ! ゲバルト学生の女スパイめ。何もやっていないだと? 何かやってからでは遅いだろうが! え? 未然に不穏な計画を暴き、悪事を予防するのが我々、防衛団の使命なのだ。貴様のような奴は叩けばいくらでも埃がでるに決まっとる。あらいざらい喋ってもらうぞ! さあ、なにを愚図愚図しているんだっ。小娘一人を御せんでどうする、横井に青木っ。とっととしょっぴけ!」
 竹刀をビュンビュン振り回し、村長は狂気に似た昂奮ぶりでハッパをかける。
 とうとう車に連れこまれると野梨子は後の座席の村長と横井の間に座らされた。両脇をとられたままである。青木が運転席に座り、エンジンをかけた。
 野梨子は頭に血が昇ってカッカしている自分を、懸命に落ち着かせようと試みる。状況を冷静に分析し、今、自分がどうなっているのか、どういう行動をとるのがベストなのかを考えるのだ。しかし考えれば考えるほどあまりに馬鹿馬鹿しい事態の展開が浮き彫りになるばかりである。はっきりしている点をあげてみよう。まず自分、鳥居野梨子はこんな目に遇わなければならない罪を犯していない事実。アンテナを折ったのはたしかに自分だが厳密に法律的分析を行なうならば、あれは緊急避難的行為による結果であって犯罪に該当するものではない。もし非難されるべき点があるとするなら定員オーバーの車に無理矢理に乗ったことだが、あのトラックはそもそも定員オーバーであったのだし罰則が加えられるのは車両責任者である運転者であるはずである。百歩譲って野梨子が悪いと認めてもこれはほとんどの場合、その場での説諭で済むケースであろう。逮捕、連行などとはまったくもって過剰異常な措置といわなければならない。しかしそれが現実に強行されている……。
 次に指摘しておきたい事実は──ここが最も肝心なポイントだと思われるが──自分を拘束している者たちの身分が本物の警察ではない点である。野梨子にとって幸いなのは彼らが警察を律している法体系からいくぶん自由であり、融通がきくであろうとの予想である。この場合、逮捕拘束が何かの間違いだと判明した暁にはすみやかな解放が期待できるわけだ。しかし一方、警察にブレーキをかけている法体系からの逸脱は被疑者に対する扱いを乱暴ならしめる根拠となりかねないとすれば、これは両刃の剣となりうる危険な事実でもある。
 以上の事柄を考えあわせると、この地域においてまったくの異邦人であるハイカー女子大生がただ一人で抗するには手に余る事態であるのは明確であろう。味方が必要である、と野梨子は車内で左右に身体を揺らしながら結論をつけた。ただ、その味方がどんな種類の人間で、いったいどうやって連絡を取りつければいいのか。たぶん弁護士が最も適切な味方になってくれるだろうと野梨子は思ったが、さて弁護士の選任を要求して話が通る相手かどうか……。
 野梨子は傍らの村長と横井を盗みみては途方にくれる。頑迷そうな彼らの表情に希望の一筋でも見つけだすのは困難である。妙に脂ぎった膚。ヤニ臭い息。時折こちらに向けられる助平な視線……こんな連中にとって奔放すぎる魅力的な女子大生はまさに格好の餌であったのではあるまいか。ぱっくり口を開いて待っていた蟻地獄の上を不幸にも通りかかってしまったのである。しかし途方に暮れてばかりはいられない。諦め切ってしまうには野梨子はまだ若く体力も精神力もピチピチとしていたし、気性も激しいものがあるのだった。
 (乗りこんでやろうじゃないの)
 と意気軒高に自分を奮い立たせるのだ。
 (こちらに非があるわけじゃなし、蜘蛛巣村でも何でも跳ね飛ばしてやるわ)
 まだどこかに学生らしい甘さと女性らしい楽観がこの娘にはあった。
 防衛団の本部はおよそ貧しい寒村の公共施設とは思えないほどの豪華な建物であった。二階建ではあるが鉄筋コンクリート造りであるし、モダンな外観をしている。内部もなかなかのものである。とてもこの村の財政で賄えるものとは思えない。どういう資金の調達方法を持っているのか、疑問に思った。
 すぐにでも取り調べなるものが始まるのかと思っていたのだがそうではないらしい。まず個室に連れていかれ、そこで待つようにいわれた。扉には外から鍵がかけられた様子もなく、窓には鉄格子がはまっているわけでもない。連行時の異様なムードに比べて嘘みたいに開放的である。野梨子の胸に希望がもくもくと沸いてくる。誤解などすぐに解け、何もかもうまく行くような気がしてくる。
 (あの村長の奴、いいところ見せたくて凄んだだけかもしれないわ。オバサンたちや部下の手前、引っこみがつかなくて連行することになったけど、なーに悪かったと頭を下げて謝るのがオチよ、きっと。選挙でも近いのかも。菓子折りのひとつでももらわないと割りにあわないわね、まったく)
 窓外のたんぼののどかな風景をみながら野梨子は持ち去られたリュックをどうやって取り戻そうかと考えはじめていた。
 扉が乱暴に開け放たれた。
 入ってきた村長や横井たちはさっきまでのどこかよそ行きの表情とは違って、芝居じみているといってもいいほどの狂暴さを持っていた。皆、防衛団のはっぴなどは着ていず、上下、青のジャージに着替えている。野梨子はそのただならぬ気配に緊張した。
 「さあ立てっ、女ゲリラ!」
 部屋を揺るがすような村長の大声に甘い幻想も吹き飛んでしまったが、負けている野梨子ではない。
 「私はゲリラじゃないっていってるでしょう! 大学に問い合せてもらえればすぐにわかるじゃないですか!」
 立ち上がってピシャリといい、気丈な瞳で男たちを見返した。
 「ふん、御託は向こうへいってからたっぷりと訊いてやるっ、来いっ」
 村長は野梨子の返事など聞かずにさっさと踵を返していってしまった。
 「どこへいくのっ。何をするのか聞く権利があるわ!」
 男たちの強引で威圧的な態度に、野梨子は従わずに叫んだ。彼らのペースに最初からはまりたくはなかった。従うにしても手強い相手だと思わせるのが肝心だろう。小馬鹿にした対応を牽制できるかもしれない。
 しかしまったく正反対の方向に彼らの対応が変わってしまった。
 「コリャァァ!」
 と横井と青木が同時に怒鳴りたてワッと野梨子に掴み掛かってきた。
 「いやッ、何するの!」
 両手を振り回して暴力をかわそうとしたがあっさり青木に羽交い締めにされてしまった。両手を腋の下から差しこみ頚椎のところで組み合わせる本格的なやつである。身長差があるのでどこか滑稽だが男の力はやはり強い。
 「ああっ──」
 自分の両手が万歳のようにブランブランとなり頭ががっくりと前に折れてしまう。
 「おとなしくするづら!」
 罵倒が耳の側で炸裂する。炸裂したのは声ばかりではない。横井の手が野梨子の頬を張り上げたのだ。鼻も曲がるような強烈な一発だったが、痛さよりもビンタされた事実に野梨子はポカンとしてしまうのである。ビンタは逆の頬にも飛んできた。これが往復ビンタ? ほっぺたが盛り上がるようにふくれ、林檎のように赤くなっていくのがわかる。細面の顔が丸く腫れている。頭に血が昇り熱にうなされている時みたいに何も考えられなくなったがそれは一瞬。すぐに怒りと屈辱が全身の血液を沸騰させた。
 「何をするのよっ」
 男たちを凌ぐような大声をあげ、足を振りあげて横井の脛を蹴ってやった。素足なので打撃はこっちの方が大きいくらいだが一矢報いなければ気がおさまらない。
 「離せ! コンチクショウ!」
 もうやみくもに足をバタバタさせてみたが、今度は背後の青木が腕に力をこめてきたので、足が床からあがってしまい、さらに首が折れそうなくらいに痛めつけられて野梨子の奮戦ぶりも鎮圧された。
 「何をしとるんじゃ、さっさと連れてこんか!」
 村長が顔だけこちらに出してイライラしたように叫んだ。
 「すんません。暴れるもんでつい──」
 言い訳がましく、横井が頭を掻く。
 「暴れる? また抵抗しているのか」
 男たちにサンドイッチにされるように抱えあげられながら、まだ藻掻いている野梨子をみとめると村長はやれやれといった顔つきになる。
 「仕方がない。シャツを剥いでしまいなさい」
 余りに軽々とした調子であったので野梨子は聞き逃すところだったし、その言葉の意味を理解するのに何秒か必要だった。だが自分で思いつくより前に彼らが教えてくれた。羽交い締めがほどかれてほっとしたのも束の間、いきなりタンクトップの裾を掴み出し、一気に頭から抜き取ってしまったのだ。


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