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 分断された夫妻 

X島は地殻変動によって取り残された珊瑚礁群等で出来ている。
大小の岩礁も付属しているが、ほぼ絶海の孤島だ。
周囲約30キロ。普通に歩けば、三十〜四十分で一周してしまう面積である。
標高はほとんどなく中央部へ向かって密茂していく南洋の樹木も数メートルが上限であった。
上空から写真を撮れば、湾を腹に持った半月形をしている。
しかし漁師達の天然港としての評価は低い。腹側は遠浅であるため漁船クラスでは近づけず、背側には岩礁が点在していてこれも接岸不可能という地形であるからだ。
この面積ではリゾート開発するのも無理であった。
誰からも注目されない小島として何世紀も過ごしてきたのだ。
『南彩帆航洋企画』では、数年前、地権者である北マリアナ諸島政府と交渉し、島の一部の使用許可を得た。遠浅の湾側は小型ボートで上陸するには適しているため、これを利用して『無人島探検』というクルーズのアトラクションを企画したのである。
事実、エスペランサ3世号は武装海賊に襲撃されなければ、このX島に向かっていたはずだった。テントや食料などを運びこみ一泊する予定を立てていたのである。
第一次世界大戦前、この地域を統治していたドイツ帝国が、この島に金銀財宝を隠したという有りもしない噂をロマンに仕立て上げ、ユーモアたっぷりに宣伝する万田船長に、ゲストの六人は大喜びでこれを楽しみにしていたのだった。

──そのX島に、まさかこんな形で訪れることになろうとは・・・。

何度も訪れ、周辺の地形を熟知しているとはいえ、闇夜の中、万田船長がディンギーをほとんど無傷のまま上陸させることに成功したのは、奇跡に近い離れ業だった。
けれどもそれに拍手する余裕は六人には残されていなかった。
とくに男性達は低体温症と脱水症状とで意識が朦朧としており、妻三人も彼らを波のある海中から浜の奥まで速やかに運びあげるという悪戦苦闘の作業に残された体力を費やさねばならなかった。この時、万田は数時間に及ぶボート漕ぎ運動の疲労を理由にいっさい手助けしなかった。波打ち際に仁王立ちし、指示を出しただけである。それがサバイバルを成功に導く合理性なのだと改めて強調した。
ついに執拗な波力から完全に脱出し、それの届かない乾いた砂の斜面に全員が到達した途端、彼女達も力尽きて倒れこみ、川の字を二つ並べたように深い眠りに陥るしかなかった。
海賊の銃口に晒され、『板子一枚下は地獄』を文字通りいく遭難に瀕し、愛する者が藻掻き苦しむ姿を間近で眺めるのを長時間強いられた、このおよそ半日は、彼女達を昏倒させて当然だったのだ。

次の日、三人の妻達の中で最も早く目覚めたのは、三井奈々子であった。
人工ビーチのような白い砂浜に寄せる、耳鳴りな波音が覚醒する意識をまず迎えた。
昨日から引き続く青天はすでに正午に近い時間であることを示していた。
暑い──。
頭上の太陽が容赦なく照りつけている。
自分が何一つ遮るもののない砂浜に横たわっている事実を、ぼんやりと思いだした。
水着から剥きだした肌が音を立てて焼けているようだ。
奈々子はギクリとして身を起こした。
(崇史さんっ)
半死半生であった夫は隣で寝ているはずだった。
介抱せずに気を失っていたとは不覚である。
しかしそこに崇史の姿はなかった。
ぐるりと見回しても、いない。
それどころか男性は万田船長を含めて全員が姿を消しているではないか。
奈々子の隣には槌谷綾音が、その横には堀部秀美が、それぞれ露出している胸を無意識に防御するように、丸くなって眠っているだけだ。
「綾音さん! 秀美さん!」
砂のこびりついた二人の肩を激しく揺さぶる奈々子。
目を開いた二人は、しばらく不思議そうに奈々子を見上げるばかりだった。
何かに咬みつかれたように、二人は突如、跳ね起きた。
砂地を掃きながら自分の夫の姿を探し求める。
「いないのよ誰も」と奈々子。
「いない──なぜ?」綾音は小麦色の顔をこわばらせる。「流されたってこと?」
「ちがうわ」立て膝をして海を眺める秀美が言った。「この砂、全然濡れてないもの。波は来てないはずでしょう」
奈々子は彼女の肩に手を添える。
「そうね。それに昨日の様子では自分で動いてどうかなるってことも有り得ないし」
「じゃあ、どこへ?」
綾音が立ちあがると、二人も続く。
奈々子は身体中が傷んでいることに気づいた。そして頭もまだ揺れている気分である。
それは秀美も同じだった。綾音はさすがに足元がしっかりしている。
気づいたことはもうひとつあった。
奈々子の白ワンピースの水着だが、肩紐の一本が切れて右の乳房がこぼれ出ていたのである。
おそらく上陸の際の死に物狂いと言っていい奮戦によって破損したのだろうと奈々子は推測した。
とても水着にかまっている場合ではなかったのだが、その状況は今も変わってない。
何とかカップ部分を持ちあげて乳房を包もうとしたが無駄な努力だった。
青ビキニのパンツのみの秀美。ウエットスーツのズボンだけの綾音──しかしそれよりも夫達の安否が先だ。
「──あれは何かしら」
砂地と樹木帯との境界線を歩いていた綾音が指をさした。
その先10メートル、周囲をヤシの木で覆われた木造の小屋があった。
四阿程度の間口だが、明らかに人の手によって建てられたものだ。
波打ち際の様子を見にいっていた秀美も合流する。
「無人島ではなかったっていうこと?」
ストレートロングの黒髪に戻っている秀美の疑問に奈々子は首を振る。
「おそらく船長の物置みたいなものではないかな。何度も来ているということだし」
「なら無線機とかもあるんじゃない。非常用に」
「もしそうならとっくに教えてくれているはずだけど・・・」
綾音が走りだす。
「とにかく行ってみましょう。きっと浩一達はあそこに避難したんだわ」
海水に濡れたままの乱れたショートヘアが綾音の野性味をさらに増していた。全力疾走しても秀美の巨乳の何分の一も揺れない引き締まった乳房が、彼女の『女闘美』を印象づける。
アスリートにはとても敵わない二人は腕を取り合い、支え合うようにして後を追った。
小屋には窓というものが見当たらなかった。
扉が一枚、あるだけだ。
綾音がそのノブをつかもうとした時、錆びた蝶番の音を軋ませながら、扉が中から開いた。
「おや、皆さん、起床されましたか。お早うございます」
そう言って現れた万田船長はダイブスキンをもう着ておらず、漂白したばかりのような半袖のポロシャツと、半ズボンを身につけていた。おまけに頭にはカーキ色の探検帽をかぶっている。つばの立派な、顎紐用のベルトまで付けた、まさに『探検帽』であった。
秀美は反射的に両手で胸を隠したが、奈々子はためらいがちに腕を組んだだけ。綾音は無頓着に晒したままである。
万田の視線は直線的に彼女達の目を射るばかりで、プロポーションへ曲線的に滑り落ちる気配はなかった。
「きょとんとされてますな。実はこれはアトラクションのために用意しておいた『衣裳』なのです。一種のサプライズというやつで──幸子はそういう遊び心が得意でして──そうです、この小屋はうちの会社の道具置き場なのですよ。クルーズのたびに上陸ボートにこんな荷物を積みこむのではロスが大きいですからな。サプライズでなくなってしまうし。しかしまあ、とにかく今回は緊急用として役立ってくれそうです。ちょっと滑稽だが最低限の機能は保持されている」
「そんなことより──」と奈々子が尋ねる。「──夫達の姿が見えません。どうしたのでしょう」
急に表情を暗くした万田は頷きながら重々しく口を開く。
「うむ、それについては心を落ち着かせて聞いてもらわなければならないお話があります」
小屋から短いペットボトルを一本、持ってきて、奈々子へ渡す万田。
「これは非常用に溜め置きしているものです。貴重ですので給水は慎重に」
気がつけば身体は乾き切っていた。三人は反射的にボトルを回し飲みしている。
それはすぐに空になった。
お替わりは検討もされないらしい。
ボトルは小屋へ放りこまれ、万田はアルミニウムの立派な水筒を自分の腰のベルトに吊るした。
一瞬、夫のことを忘れた小さな自責に三人はかられた。
船長の肩越しに小屋の中を覗きこもうとした綾音を,紳士的な微笑で遮り彼は扉を閉めた。丁寧に施錠までする。鍵はポロシャツの胸ポケットにしまった。
「歩きながら話しましょう──」ナイロンのザックを背負う。「──こちらです。森の中になります」
彼が先頭に立ったが、むろんアスファルトの道があるわけではない。
砂地が終わり、粘土のような赤土の地面が三人の足元をよろつかせた。
彼女達が素足であるのに対し、万田は頑丈な登山用の靴を履いている。これも衣裳ということなのだろうか。
地面だけでなく、大きなヤシの葉が彼女達の素肌へピタピタと当って苛んできた。秀美は自分の乳頭にその強い葉先がぶつからぬよう避けなければならなかった。本来、半裸の女が入りこめる環境ではない。
「男性三人は、皆さんが熟睡している間に、私が他の場所へ移しました」
「何故です」勢いこむ綾音もヤシの葉から顔やバストを守る腕の動きを怠れない。
「隔離の必要性が生じたからです。三人とも熱病に罹患した疑いがあるのです」
万田の言葉に三人は絶句し、奈々子は立ち止まってしまったくらいだった。
「いやいや、まだ『疑い例』の段階です。熱病の種類も特定できない。ただし発熱は三人ともにある。あの弱り切った状況ですから抵抗力はゼロに近いわけで、なんらかの病魔を発症させるリスクは特段に高いでしょう。先手を打って隔離するのが妥当と判断しました。伝染病者の強制隔離執行には法的な根拠が与えられておるわけです」
これも船長の職権なのだと彼は主張する。
「我々にまでうつされてしまえば、これまたアウトです。彼らの看病もできず共倒れとなる」
昨晩、ディンギー上で聞かされたサバイバルの非情な論理がまたしても展開された。
ここですな、と万田は歩みを止めた。
空き地のようになっている場所に出た。
といっても地面は低層の樹木で一杯だ。一旦は人の手で伐採して空間を造成したがすぐに新たな植生に覆われ尽くしたという感じである。あるいはその繰り返しをしているのかもしれない。
その空き地の奥まった部分の地面が隆起しており、築山のようになっていたが、こちら側が崖のように削られて断面状になっている。
高さは3メートルくらいだろうか。
そこにどうやら洞穴ようなものが開いており、穴には鉄格子が嵌っていた。
三人はたまらず駆けだして万田を追い越し、鉄格子に取りすがる。
真っ黒な鉄格子には鎖が幾重にも巻かれ、閂錠がぶら下げられていた。
──すべてが自然による彫塑ではなかったのだ。
コンクリートの建物の周囲を森の生命力が覆い尽くした結果、そう見えるだけである。
長い年月の放置がドーム状の築山を形成したのだった。
かつては入り口の扉だったらしい穴からは、必死に目を凝らしても暗く、様子がわからない。
細い通路が奥へ続いているようではある。
「ここを開けてください!」
綾音は鉄格子を揺さぶりながら叫んだ。
「ハイそうですかと開けてしまえば、隔離になりませんぞ」
「あなたっ、あなたっ──」
綾音は狭い鉄格子の隙間に鼻筋の通った美貌を突っこむようにして、なおも声を放つ。
「ご心配には及びません。この中は案外居心地のいい場所なのです」
ドイツの統治時代、北マリアナ諸島一帯は主に流刑地として利用されており、このX島にも一時、そうした収容所施設が存在したという。その一部がこうして残っているのだ。
「ドイツ人の造った刑務所ですからな。百年以上たった今でも居住可能ですよ。ヒットラーが生きてヨーロッパを抜けだして、ここへ逃げこんでしばらく暮らしたという伝説もあるくらいだから」
アトラクションのための台本なのか、冗談なのか、万田は帽子のつばに手をやりながらそんなことを言う。
「とうぜん『南彩帆航洋企画』でも手を加えております。採光もできているし、ベッドもある。天然のクーラーもよく効いて、病室としてはうってつけの場所でしょう」
「どうしても面会できないのですか。家族でも?」
諦めきれないように鉄格子を握りながら、綾音が万田を振り返る。
「疑いが晴れるまで自制して頂かないと困ります。中に入って看病するのはこの万田だけです。なぜなら私の身体には風土病の抗体があるが、貴方達にはないからです。そして──」
万田は笑みを浮かべる。
「私が医師免許を持っていることをお忘れなく。日本でしか有効ではありませんがね」
「・・・っ」
船長のスーパーマンぶりには返す言葉がない綾音だ。
「なのでここは任せて頂きたい。少しでもリスクの低い選択を厳守するのがサバイバルの極意なのだから」
「でも・・・」
「もし従えないということでしたら非常事態を宣言するしかありません。リーダーとして心苦しい限りだが、全員を守るためには強権の発動もやむを得ない」
奈々子が険悪になりかけた空気を和らげるように言った。
「綾音さんは──私も秀美さんもですが──夫を助けたいだけなんです。力になりたいだけなんです。妻として当然の心情をご理解戴かないと」
万田は大きく頷いた。
「まさしくおっしゃる通りですな。大いに力になって頂かないと困ります。残念ながら常備薬は熱冷まし程度のものが、それもわずかな量があるだけです。水はポリタンクに五日分あるので──スコールもあるだろうし──何とか足りるとして、あとはどれだけ栄養価の高い食物を食べさせられるかが勝負です。体力を回復して抵抗力を高めるのが目下のところの最善の治療法でしょう。ご夫人方三人には手分けしてこの島のあらゆる食料を集めてきてもらうことになる。もちろん私も獅子奮迅の働きをせねばなりません」
万田は、ではこちらへどうぞ、と歩きだした。
綾音は暗い入り口へ向かって「浩一さん、頑張って!」と大声を発した。
奈々子も秀美もそれに倣い、それぞれ夫の名を力強く叫んだ。
耳を澄ましても反響のみが返ってき、夫の返事は聴こえない。
三人は肩を落とし、意気軒昂に茂みを掻き分け、前進する探検服姿の万田船長についていくしかなかった。


4 男根岩の英雄

行軍はしばらく続いた。
出発した上陸地点へ戻っているようではない。
それは何とか理解できたが、島のどこを移動しているのか見当もつかなかった。
樹木はジャングルと呼んでもおかしくない密度で、三人の視界さえ遮った。
パンティ一枚という最も露出度の多い姿の秀美が最初に音をあげた。
「・・・まだ・・・遠いですか、船長・・・」
「もうすぐですぞ。先ほどの小屋のあったビーチとは、ちょうど正反対の場所へ出ます」
「・・・そういえば・・・あの小屋には、ほかに衣裳の類は置いていないのですか・・・」
「パーティグッズ程度しかありませんからな。いつのことだったか、ねねがヤシの実のビキニでファイヤーダンスをするという出し物をやりましたけれど、あれが残っているかどうかでしょう。探してみても構いませんが、下品すぎて私は好きではなかったですな」
「・・・ヤシの実・・・」
それでもないよりはマシだろうか。秀美は首を振る。どんなものでも利用しなければならないのがサバイバルだ。
「小屋には──無線機とかはないのでしょうね?」
「残念ですが三井さんの奥さん、あそこに金目のものは置けないのです。海賊がすぐに盗んで行きますので」
「海賊・・・ここにも来るんですか」
「昨日のようなのは来ませんが、もっとケチな奴がね。空き巣専門みたいなのがいるわけですな」
なので水すらあそこには置けず、ほとんどが夫達の隔離施設に使っている、あの塹壕のような場所で厳重に保管しなくてはならない、と説明した。
「その空き巣専門の連中が来てくれればいいのに」と秀美が言った。「まとまったお金をやれば私達がここにいることをレスキューに連絡してくれるんじゃない?」
「これも残念だが秀美さん、空き巣は人がいないところに入るから空き巣なのです。我々のディンギーを見つければ近よりもせんでしょうな。コソ泥を信用するのは世界でも日本人だけの美徳ですが──残念です」
秀美は一言もなく黙りこむしかない。
「それで船長──」奈々子が妻達の代表者のように尋ねる。「──正直な話、我々が救助される確率はどのくらいとお考えですか?」
「もちろん100%です。ここまでのような皆さんの協力が今後もあれば、100%、です。ただし、時期については・・・ちょっとわからない。不確定要素が多すぎますからな。明日かもしれないし一週間後かもしれない・・・」
万田は振り返りもせずに着実に前進している。
「幸子達と海賊の戦闘の結果次第というところもある。幸子達が彼らに打ち勝てば、おそらく幸子は一両日以内にエンジンを修理して、ディンギーが漂着する可能性の一番高い、このX島に真っ先にやってくるでしょう。あの女ならそのくらいのこと、簡単にやり遂げる力がある。この万田の妻ですから!」
彼は行手に飛びだしてくるヤシの枝を猛然と弾きあげた。その反動で他の枝も大きく揺れ、草露が後続の奈々子達の肌へ降りかかってきた。
「海賊が幸子達を制圧した場合──残念ながら客観的に言ってこの結果が最も確率が高いでしょう──その場合でも、五日から一週間程度で救援隊が来ると想定しています」
(一週間・・・)
そう呟きそうになって奈々子は慌てて口をつぐんだ。
自分達の助かることばかりに気を取られ、幸子副船長らの犠牲について忘れた印象を与えてしまいそうだった。


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