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  ジャクリーン、逮捕

 グラント夫人はきまり悪そうに謝罪した。
 「御免なさい。ちょっと急な用が出来たので遅くなりそうなのよ。変わりはない? まだ変態電話は来ていないわね?」
 ジャクリーンは手短に彼女と別れてから起こった経緯を報告した。セクシーな声を持つ赤毛の年増美人は呆れたように口笛を吹いた。
 「あなたってお転婆ねえ。驚いちゃうわ、まったく。もしものことがあったらどうするのよ!」
 「フフ、御免なさい。でも収穫があったんだから勘弁してください。これで奴らを追い詰めることが出来るでしょう」
 たしかにその通りだが、と、モニカ・グラントは二の句が告げないようである。彼女にしてみればあのブロンド美人とアクション映画まがいの空手の達人とがどうにも一致しないのだった。いくら腕に覚えがあるといっても、そんな電話にノコノコ誘い出されていくなんても無鉄砲にもほどがある。
 ジャクリーンはこれ以上お説教されてはかなわないと、話題を変えた。
 「……写真二枚とメキシコ酒場の『アミーゴ』。叩けばきっと尻尾を捕まえられるわ」
 「ちょっと待って!」モニカは慌てて叫んだ。「勝手な真似はしないで頂戴よ。お願いだから一人で乗り込んでいくなんていわないでね、ジャクリーン。あそこは胡散臭い場所だわ。裏では売春もやってるし、人身売買に手を染めている疑いもあるの。軽率な行動は赦されない……」
 「人身売買?」ジャクリーンは聞き返した。
 「そう、中米から南米、遠くはアラブ世界へ通じるルートの窓口よ。もちろん向うからアメリカへ貧しい女性たちを連れ込んでくることもあるけど、『アミーゴ』はその逆が本業。白人女を調達して大金持ちのハーレムへ送り込む。アメリカを憎んでいる民族は掃いて捨てるほどいる。顧客には困らないのよ」
 「そういう組織とクライズヒルズ刑務所とが結びついている可能性がでてきた……。ミセス・グラント! こうしちゃいられないわ。これから二人で行ってみましょう!」
 「駄目よ、駄目。女だけで行くなんて正気の沙汰じゃない! うちの組織から応援を呼ぶから待って頂戴。屈強なボディガードを二人くらい連れて乗り込みまなくっちゃ」
 「どのくらいかかります? その逞しきハンサムボーイがクライズヒルズに到着するのは?」
 「うーん──三日、いや二日で準備できると思う」
 「そんなに待たなきゃならないの!」ジャクリーンは額に拳をコンコンと打ちつけた。「気が遠くなりそうだわ……」
 「妹さんを惨い目に合わされているあなたには耐えられないかもしれない。しかしこれは妹さん一人の問題だけではないのよ。他にもたくさんの犠牲者が、そしてこれから犠牲になろうとしている女たちの問題でもあるの。迂闊に動いて察知されたらそれこそ何もかもパーでしょう。慎重な計画が必要よ」
 モニカの主張が全面的に正しい。ジャクリーンは心を落ち着けて彼女の指示に同意した。いずれにせよこちらに来ると、電話の向こうの女傑はいった。写真もみたいし、作戦も考えなければならない。
 「少し遅くなるかもしれないけど、待ってて頂戴。必ず行くわ」
 「わかりました。……あら?」
 ジャクリーンは来客を告げるドアベルの音を聴いた。
 「どうしたの? だれかお客様?」とモニカ。受話器の向うで心配そうな顔になっているのがわかる。「このまま電話を切らないで、ドアの外に誰がいるかたしかめるのよ。わかったわね」
 「そうするわ……」ジャクリーンはコードレスホンを小脇に抱えて、ドアの前まで行き、ガラス窓にかかっているレース網のカーテンをわずかに開けた。ジャクリーンはギョッとして息を飲んだが、恐怖からではない。ドアの前にはミセス・バルビーの醜怪な顔がぬっと浮かんでいたのだ。彼女は眼を細めて笑っていた。
 「誰? 大丈夫、ジャクリーン?」モニカが尋ねてきた。
 「心配いらないわ。モーテルの女主人よ。そうだ、彼女にいうことがあるんだったわ」
 大事ではないと知ってモニカは安心し、それでも、くれぐれも気をつけて頂戴、としつこく念を押しながら電話を切った。
 ジャクリーンはミセス・バルビーにまたこのコテージに闖入者があった事実を突き付け、管理の甘さを怒ってやろうと思ったのだ。これではこっちよりルイス・パーマーの方が部屋の使用時間が長くなってしまう。正規の部屋代を払うのはまったく馬鹿馬鹿しい。それから、そう。下着の件も訊かなければ。
 (ニコニコ笑ってはいられないわよ、ミセス・バルビー)ジャクリーンはドアのロックとチェーンを外した。と、ミセス・バルビーの姿が横に移動していき、視界から消えた。
 「?……」訝しげなジャクリーンがポーチに出ようとした時、ミセス・バルビーと入れ替わるようにでっぷりと太った男が彼女の前に立ちふさがった。男は警察官の制服を着ていた。男の手には拳銃が握られている。銃口は真っすぐ女弁護士の双つのふくらみの間に向けられていた。
 「お久しぶりですねえ。弁護士先生。ちょっとみないうちにまたまた女っぷりがあがったようですな」
 その見覚えのある警官はティンガロンハットをほんの少しずりあげてニタついた。名前は忘れたがあのガソリンスタンドでジャクリーンを職務質問した男である。そして彼の背後にもう一人警官が現れた。眼鏡をかけた若造だ。こっちは名前を覚えている。ハリー・レイモンド。猥褻なボディチェックを仕掛けてきた糞ガキだ。
 「ウィリー、女っぷりがあがったとは思えないな。眼のしたの弛みがひどくなってる。弁護士先生は寝不足のようだぜ」
 「フフ、そうかね。そいつは残念だな。いまのうちにたっぷり寝ておかないと、これから辛くなるだろうによ」
 ウィリーは嘲ら笑いながら太鼓腹を突き出すように部屋の中へ押し入ってきた。
 「なんですか。あなたたち。なんのつもり?」女弁護士は拳銃の銃口がバストの先っぽに密着するのを避けるように後退しなければならなかった。
 「おお、いい匂いだ」
 完全に部屋に踏み込んだデブ警官は大きな拳のような鼻をクンクン蠢かせていった。ジャクリーンはこの警官の名前を思い出した。ウィリアム・ヒギンズ保安官助手だ。
 「東部のレディの匂いだぜ。体臭もまた知性的な香りに感じるから不思議なもんだ。フフフ、ハリー、弁護士先生がおっかない顔してるから令状をおみせしな」
 ヒギンズはハリー・レイモンドに命令した。
 「令状?」
 ジャクリーンが眼を剥くのを、ハリーは小気味よさそうに眺め、おもむろに胸ポケットから書類を取り出した。
 「麻薬所持ならびに麻薬吸引の疑いで、ジャクリーン・ドーセットの仮住居を家宅捜査することを許可する。クライズヒルズ郡裁判官ピーター・ノーマン──」
 告げ終えると、ハリーは書面をジャクリーンに向ってみせた。
 彼のいうとおりの内容であり、法的にまったく正当な捜索令状であった。もちろん事実を逸脱した容疑ではあるけれども……。麻薬所持に吸引? 馬鹿馬鹿しい!
 「身に覚えがありませんわ。保安官助手。何を根拠にそんな令状をとったのです?」
 ジャクリーンは皮肉な笑みを洩らしてヒギンズをみた。落ち着きを取り戻し、余裕をもった視線である。
 「さあ、それはどうですかな。弁護士先生」
 ヒギンズの顔にもジャクリーンを上回るような余裕が感じられる。これから起こる事態が楽しみで楽しみでしょうがないという表情だ。クリスマス・イブを迎えた子供たちの心境。ここまでくればあとはプレゼントの蓋を開けるばかり。幸福感だけが胸を満たしている。ジャクリーンはそのヒギンズの表情をみているうちに、多少、不安を覚え、ついで苛つきを感じはじめる。
 「嫌がらせだわ!」と舌打ちするように吐き捨てた。「これは不当なガサ入れよ。徹底的に抗議しますからね!」
 「それはきっと無理でしょうな、ドーセット弁護士──」
 澄んだ、若々しい声が聴こえてきた。ヒギンズの声でもハリーの声でもない。それは開け放たれたドアの向うから聴こえてきたものだ。声の主がゆったりと部屋の中に入ってきた。ディビット・パターソン保安官だ。活気みなぎる赤銅色の肌。意志の強さを示す彫りの深い顔立ち。頬に傷があるのがハンサムを屈折させているが、憂いをたたえたゾッとするほどの美しい瞳は優しげである。しかし今日はその瞳に深い哀れみが漂っているように感じられるのは錯覚であろうか。
 「保安官! それはどういうことですの? 説明して戴けません?」
 ジャクリーンは吠えるようにいった。彼女にとってはヒギンズやハリーのような下っ端よりも話が通じる第一印象なのだった。が、モニカ・グラントがクーガーよりも恐ろしい男と評価を下していたのを思い出し、はっと口をつぐんだ。
 「我々が行動を開始する以上、間違いは起こり得ないということです。抗議する余地はないでしょう」
 パターソンは眼で部下に合図を送った。二人は捜索をはじめた。
 「残念ですよ」とパターソン。「司法の一翼を担う弁護士のあなたが麻薬に手を染めているなんて。警察としても心が痛みます」
 「すぐにわかりますわ、保安官。この部屋からは何も出てきやしませんから」
 ジャクリーンは無表情を装い、乳ぶさの下で腕を組んだ。だがその肉の薄い頬はやや青ざめている。麻薬の心配はない。けれどもあの写真がいま彼らにみつかるのはまずい。モニカによれば彼らも共犯者の疑いが強いのである。証拠として押収されてしまえばその隠滅など朝飯前だ。あれは真実を暴きだす唯一の証拠品なのだが。
 写真および彼女のしたためたノートはこういった事態を予想していなかったためにベッドルームのサイドテーブルに無造作に置かれていた。ハリー・レイモンドがそれを手に取るまでいくらの時間も要しなかった。彼はページを開き、写真をみつけた。そして慌てて保安官を呼んだ。
 「保安官。それについては少し説明が必要ですわ」
 パターソンとともに歩きながらジャクリーンは弁明しようとする。なんとか押収を免れねばならない。
 「いけませんよ。あなたはこのまま動かないでください。部屋の中を動きまわると今度は証拠隠滅の疑いまでかけられてしまいますよ。これ以上、容疑が重なるのはお望みではないでしょう」
 パターソンの静かだが有無をいわせぬ語り口に、ジャクリーンは唇を噛んで足を止めるしかなかった。ノートは当然のように証拠品として押収されてしまった。パターソンの表情がいっそう堅いものになった。
 「……あれは妹ですわ」と、戻ってきたパターソンにいった。「ひどい目にあっているのです」
 「詳しいことは署の方でお訊きします」
 そういったきり、保安官は冷然と彼女を無視した。その視線は、カーペットをはぐり、テレビを移動させ、電灯の傘のうえを覗いたりしている部下たちの行動をみつめている。ヒギンズはジャクリーンのスーツケースを引っ繰り返した。バラバラと収納品がこぼれおちる。ヒギンズの期待したものはなかったようだ。もちろんそれは麻薬ではない。
 「怪しいな」とヒギンズはハリーに声をかけた。「下着が一枚も入っていないぞ。どうしたんだ?」
 「なるほど。生理用品もない。いずれにせよ、挙動不審の女ですよ」
 二人はジャクリーンに聴こえるように会話をしているのだ。下劣な嫌がらせにブロンド美人は眦をピリピリさせている。
 捜索がバスルームに移った。
 「本当に何も出てこなかったらどうするつもりですの? クライズヒルズ郡の英雄のあなたの名声に傷がつきますわよ」皮肉をいうジャクリーン。
 「どこで私に関するつまらない噂を聴いたかは知りませんが、私はただ職務に忠実なだけです。そろそろ弁護士に電話をしておいたほうがいいのではないですか。おっと失礼、あなたご自身が弁護士でしたな。しかし弁護人と被告人の両方をやるのは大変ですよ。やはり弁護は他人に依頼した方がいいでしょう。もっともここには弁護士はただ一人しかいないから、迷う必要もない。エド・ローエンに電話したらどうです? 美人姉妹揃って弁護できるなんてあいつも役得だな」
 パターソンはそこで初めてニタリと嗤った。
 「あっ、ありましたよ、保安官!」ヒギンズが頓狂な声をあげた。つづいてハリーの口笛。「こりゃ、上物のコカインだ。ちょっとやそっとじゃ手に入らないよ」
 「出たか、よし」とパターソンの顔が急に生き生きとしてきた。「ハリー、こっちへ来てジャクリーン・ドーセットの身柄を確保しろ」
 ジャクリーンにとってはまったく信じられない展開であった。「違うわ!」冷静さを失って彼女は大声をだしていた。「こんなの嘘よ。でっちあげよ!」
 「見苦しいぜ。弁護士先生」パターソンと入れ替わりに傍らにじり寄ってきたハリーは満面笑みをたたえて彼女の剥き出しの二の腕を掴んだ。「こうなったら覚悟を決めてお縄を頂戴するんだな」
 手錠を取り出すと、ハリーはぞんざいな扱いでジャクリーンの細腕を背後にねじ曲げた。逮捕者の権利を読み上げながら、まず片手に、そしてもう片方も束ねるように輪を通していく。ジャクリーンにとって今日二度目の拘束であるが、意味合いはまったく違っている。ハリーがご丁寧にも自分の腰に逃走防止用のロープを食い込むくらいきっちりと縛り付けていくのを呆然と眺めるしかなかった。
 (罠にハメられたのだ)怒りがこみあげてきた。しかしなんと荒っぽい罠であろうか。たぶん、留守中に誰かが忍び込み──あのルイス・パーマーだって出来たのだから、誰にだって出来るだろう──コカインの詰まった袋をバスタブの排水管か何かに突っ込んでいったのだろう。誰か?……もちろんジャクリーンのクライズヒルズでの活動を疎ましく思っている人間の差し金だ。そして警察に密告する。いや、その必要さえなかったかもしれない。警察もすべて承知済みの罠であるケースも大有りだ。何しろクライズヒルズに到着して早々、似たような罠が仕掛けられたのだから。あの時はハリーとヒギンズが勝手に行動してしまい──彼女が弁護士でサラ・ドーセットの身内であるのもわかっていなかった──保安官が止めたのだ。今日まで周到に準備を重ねて機会を窺っていたのかもしれない。だがこれはちっとも緻密な計画とはいえない、とジャクリーンは気が付いた。第一、自分はコカイン中毒ではないのだ。それは調べればすぐわかることである。それにここはモーテルだ。前の客が残していった物ではないとする証明はできっこないではないか。ミセス・バルビーの管理の杜撰さは警察の記録にだって残っているはずなのである。ジャクリーンは自分にいいきかせた。すぐに解放される、いくらなんでもこんなまやかしが通るわけもない。
 保安官と保安官助手がバスルームから出てきた。パターソンの手にビニール袋が握られている。ハリーが耳元に囁きかけてくる。
 「覚悟しな。たっぷり五年はくらいこむ量だぜ」
 そしてヤニ臭い息を首筋に噴きかけた。
 「ハリー、権利の告知はちゃんと済ませたろうな」とパターソン保安官。
 「もちろんですよ。相手が弁護士じゃ、あとで挙げ足を取られそうなヘマはできませんからね」
 「よし、容疑者ジャクリーン・ドーセットを署まで連行する。しょっぴけ!」
 人が変わったようなパターソンの怒鳴り声に呼応するように、ハリーはどんと彼女の背中をついた。
 「さあ、ベイビー。たっぷり可愛がってやるぜ。ショータイムの始まりだ」
 前のめりにたたらを踏んだブロンド美人を、今度は腰のロープを手元にたぐりよせて引き付ける。犬の散歩のような荒々しさだ。
 「こ、後悔するわよ……」ジャクリーンは顔を真っ赤にして三人の悪徳警官を睨みつける。「あなたたち、みんな免職にしてやるから」
 絞りだすような女弁護士の憤怒の声に、ハリーとヒギンズが哄笑で、パターソンは冷徹な表情で答えた。
 ポーチを出、パトカーまで連行されていく途中、ミセス・バルビーが野次馬よろしくジャクリーンの顔を覗き込んだ。
 「たまげたね。そんな女だとは思わなかったよ」
 「違うわ。これは間違いだわ」ジャクリーンは必死に声をあげたが、必死になればなるほど、相手は彼女から離れていくようだった。
 「まあ、ちょっとおかしなところはあったけどね」とミセス・バルビー。「変態趣味なんだよ。この女。下着に穴を開けていたりしてさ。露出狂じゃないかと思ったけど、薬でラリッて切り刻んでいたのかもしれないねえ。くわばらくわばら」
 ジャクリーンは絶望的にがぶりを振った。これではとてもまともな証言を望めそうもない。
 「あたしゃ、何でも話しますからね。呼んでくださいな。警察の旦那がた。このクライズヒルズでいちばんこの女と長く顔をあわせていたのは、この私ですからね。裁判所でもどこへでも行きますよ」
 ミセス・バルビーは手柄話を吹聴しているようでもあった。


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