『全体目次』  『小説目次』  『本作目次』 


  女性議員の憂鬱

 阿南美代子事務所は来客が多いことで知られていた。貸しビルの狭い一室という仮所帯ながら、熱気に満ちあふれ、いつも人並みが絶えない。しかしその中には都議会議員、阿南美代子の幅広い政治活動と気さくな人柄を慕って訪れる本来の支持者ばかりでなく、美代子の他を圧倒するような華やかな容姿に群がり、あわよくば利用せんともくろむ不遜の輩が含まれていることも否定できない事実だった。すでに四十を一つ越した年齢ながら、どうみても三十代前半としか思えないその美貌は、たとえばマスコミ各社の格好の標的になっている。もちろん本来の職分である政治討論番組から、トーク番組。ニュースショーのコメンテェーターに人権相談。果ては料理番組等のバラエティーからまで出演交渉が舞い込んでくる。もっともそれらならまだましなほうで、最近ではちょっと油断すると、わけのわからないゴシップ週刊誌の取材なども紛れ込んできた。写真週刊誌のフォーカス合戦も苛烈で、少し派手なファッションでもしようものなら、次の週の巻頭を知らぬ間に飾っていたりする。山積する政治課題に頭を痛める日常の他に、そんな俗事が今の美代子の悩みの一つでもあった。
 今日は朝から都内のある婦人団体の依頼で講演を行ない、その後の歓談を終えて、ようやく事務所に戻ってきたところだった。爽やかな水色のワンピースに白い幅広のベルト。ネックレスも耳飾りもない、たったそれだけの平凡なファッションも阿南美代子が身につけるとぐっと引き立って見えるのは、抜群のプロポーションの良さだけでなく、旺盛な生への意欲という内部から滲み出る活気を感じさせるからなのだろう。
 第一秘書の広川が麦茶を持って美代子の部屋に入ってきた。
 この広川という男、もともと美代子が政界に進出する以前、この一帯を地盤にしていた古参議員の秘書を務めていた。その議員が任期中に急死し、結局、後を継いだ美代子が彗星のようにデビューしたわけなのだが、何せこの世界、議員の個性や政策よりも、地盤、看板、カバンがものを言う相場でもあり、そのへんのノウハウに長け、地域の人脈、気質等を知り尽くしているという理由で、この事務所に引き続き秘書として居座ることになったのだ。
 「先生、お暑いですなあ」
 広川は美代子の机にコップを置いた。
 「ありがとう、広川さん」
 美代子は柔らかい声で礼をいい、冴えた額を半分ほど隠しているウエーブのかかった髪、後へかけてボリュームを増していく色っぽいヘアスタイル、をふっと掻き上げて、にっこりと笑う。
 ……しかし美代子は実際のところ、この広川という男をあまり高く買ってはいない。五十という年齢をを越えているにしてはそれに見合った品格というものがなく、時々その猫背をさらに丸めて媚びるように美代子の機嫌を窺ったりする。それはまあいいとしても、彼がセッティングする激励会だの懇談会だのは余りにもドブ板式の、選挙目当てと露骨にとれるものばかりなのである。美代子のソフィストケイトされた都市的な政治体質とは水と油なのだ。そうした集いは必ずといっていいほど、ただの宴会で終ることが多い。美代子が都政の問題を少しでも口にすると、居並ぶ役員たち、そのほとんどが男たちなのだが、彼らは一様に白けた表情になり、中にはあくびを露骨にする不届き者まで出る始末なのだ。ようするに彼らは政治などにはとんと関心がなく、ただ、今話題の女性議員の美貌を一目拝もうと、鼻の下をのばしてぞろぞろ集まってきた卑俗の民なのである。
 (まあまあ、先生、今日は堅いこと抜きの親睦会ということで、飲みましょう)
 広川はそんな時、決まって美代子を制し、まるで太鼓持ちか一八のように座をとり繕おうとするのだ。
 (広川さん、今後このような不真面目な集会には出席いたしかねますからね)
 厳しくいう美代子に、自分の主張を展開するでもなく、広川はとりあえずハイハイと従うのだが、ほとぼりが冷めると証拠にもなく、同じような催しを組んだりする。
 (ようするにアンシャンレジュームなのね)
 この世界の水にもなじんできた最近では、美代子は広川の言うことを適当にさばいて相手にしていなかった。
 ドアが開いて第二秘書の田代エリが入ってきた。今年二十七歳になるというどこかクールな感じのするこの女性は、第二秘書といってもアルバイト以下、ボランティアに近い待遇に甘んじながらも、優秀な仕事ぶりで美代子が広川よりも頼りにしている人物だった。今日の集会へもエリを伴って、広川には留守番を指示していたのである。
 エリは履歴書によると日本の大学を出た後、アメリカに渡って、政治を学んできたという。たしかに語学は堪能だし、合理的なその思考はあちら仕込みのものに間違いない。だがそれ以外の、たとえば自分の生活や家族のことなどは余り語りたがらない、謎めいたところもあった。肩に垂れる髪を後でまとめ、黒縁の眼鏡をかけているため目立たないが、かなりの美人ではある。短所は少しユーモアが乏しいところか。長く一緒にいると息苦しく感じることがたまにあった。
 エリは額の汗をハンカチで拭いながら、
 「車、駐車場に入れてきましたから」
 「田代さんもあのポンコツには苦労しているらしいわね」
 美代子はくすくす笑い、そしてふと真顔になると、広川にむかって言った。
 「広川さん、田代さんにも冷たい物、入れてきて上げて」
 如才ない広川の表情が一瞬曇った。この世界でははるかに先輩の自分が、切れるとはいえ第二秘書の、しかも娘ほども年齢が違う女のお茶をくむんだって。
 「あ、いえ、私自分でやりますから……」
 エリはさっと部屋を出て行こうとする。
 「いいのよ、田代さん」と、美代子が制した。「あなたは今前線の仕事から帰ってきたばかりなのよ。戦闘を終えて戻った兵士に銃後を守る兵士が労うのは、別に不自然なことでなくてよ。この阿南事務所ではそのことに男女差はもちろん、年齢差を持ち込む必要は認めないわ」
 「いやはや、まったくその通り。気が付かない自分が馬鹿でした」
 薄くなった頭に手をやり、にやにや笑ってそう言うと広川はいつもの媚びた表情に戻り踵を返して出て行くのだ。
 二人きりになるとエリが、
 「先生、困りますわ。あれでは広川さんの立場が……」
 「ちょっと陰険だったかしら。でもね、あの人には少しショック療法が必要なのよ。後輩の前で上司から厳しく注意されても、悪怯れる風もなくニヤケているんじゃ話にならないわ。仕事はあなたの方が出来るんだから、気にすることないのよ」
 「でも……」
 エリが言いかけた時、広川が帰ってきた。麦茶の入ったコップを恭しくエリに渡すと、大袈裟に驚いた声を出した。
 「あ、これは私としたことがうっかりしておりました!」
 「どうしたの」
 「先生の留守中に週刊誌からの取材の依頼が入ってきていました」
 「週刊誌……。それでちゃんと断ってくれたんでしょうね」
 「いえ、受けましたけど」
 「なんですって」
 広川のすらとぼけた返答に、美代子は憤然となって思わず、机を叩いた。冷静な美代子にしては珍しい感情の高ぶりだった。
 「どうして受けたのです。あれほど興味本位の取材は断りなさいと言っておいたでしょう」
 「先生はまだまだお若い。来年には選挙が控えているのですぞ。綺麗事ばかりではこの世界はやっていけないのです。ここはマスコミを利用してお顔を売っておられたほうが得策なのです。何も選挙民が真面目な人間ばかりとは限らないのですぞ」
 珍しく口から出た広川の意見……遠回しではあるが、女性候補者は話題性やムードや容貌を売り込まなければ選挙に勝てっこないと決めてかかったような、女性議員の秘書としてはあるまじき言い草に、美代子もエリも呆れて物が言えなかった。
 「それで何時にセッティングしたの」
 怒るのも大儀になった美代子がきく。広川は手帳をパラパラ捲り、
 「一時半ですな」
 「一時半……もうあと十分しかないじゃない。これじゃキャンセルは無理だわ。どうして私たちが帰ってきた時すぐに報告しなかったの」
 未練がましく聞く美代子に、広川は、
 「いやあ、あんまりお二人がお美しくて、つい見惚れてしまって。ハハハ」
 と、冗談のつもりなのかそんなマヌケなことを言い、ますます二人の才女を白けさせるのだ。
 「どこの週刊誌ですか」
 エリが尋ねる。
 「週刊娯楽女性」
 美代子もエリも絶句する。よりによって余りにひどすぎた。『娯楽女性』なる雑誌はこの業界でも鬼っ子扱いされていて、エログロナンセンスを売り物にする三流中の三流週刊誌だった。とくにその実名入り写真入りの中傷記事のひどさは評判で、芸能人はもとより大企業の社長夫人だのご令嬢だの、素人の被害者も後を断たない。
 よりによってそんな雑誌の取材をどうして相談もなく入れたのか。美代子は広川の顔をまじまじと見つめる。
 (結局、この男とは永久に『そり』が合わないのかしれない)
 美代子は真剣に広川の解雇を考えはじめた。


###### この章の残りは有料本編でお読みください。 ######