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  ミーティング

 週刊アイの暴露記事は、当然、悪魔たちにも大きな動揺を与え、発売と同時に対応策を練るため、とある料亭で秘密の会合がもたれることになった。もっともKK教団にはマスコミの取材依頼が殺到し、実名で登場する教祖、惣戸苅や井上銀子らは身動きが取れないため、末松が出席している。
 「こりゃ、どういうこっちゃ」
 いちばん腹に据えかねているのは沼田吉次であった。猪突猛進型の性格を指摘されて、これまで何度となく自重するよう諌められてきた沼田は、この時とばかり惣戸への不信感をあらわにした。
 「人にしつこく、足だすな、足だすな、言うてて、自分がボロだしてたらしょうもないやないけ」
 「いや、まったく、面目ない」
 と、身をちぢめて恐縮しきる末松に北野が助け船を出す。
 「まあ、社長の怒りはもっともなことではあるけれども、ここは仲間割れしている場合ではないだろう。それに」
 北野はロマンスグレーの頭を掻きながら、イボンヌ梨田に調剤していた、あの薬が氏家真樹なる女性の手に渡り、加えて北野の正体も知られてしまったことを苦々しい思いで報告した。
 「なんやて」沼田は自分の禿頭を扇子でポンと叩いた。「院長んとこも、おかしなのが出てきたんか。どないするんやまったく」
 北野は照れ笑いをしながら、沼田に酒を注いだ。
 「いやあ、私としたことが、イボンヌにあんな友人がいるとは知らなかった。調査不足だったよ。自分の不明を恥じるしかない」
 深々と頭を垂れて、続ける。
 「しかしね。これだけははっきりしている。ここまできた以上、我々はもう後戻りは許されないということ。そして今が最大の踏張りどころであるということ。焦らず、一つ一つ片づけていくしか、この苦境を打開する道はない」
 そりゃそうや、と沼田は同意する。末松にも異存はなかった。
 「そこでまず、こちらの方だが、イボンヌの身柄は亭主の帰国も迫っていることだし、予定通り北野病院に収監する」
 「大丈夫かいな。薬っちゅう物的証拠が、その女助教授の手にあるんやろ」
 「それを、取り返す役目を社長、あんたにやって貰おうと思っているんだ」
 「どうするんや。空き巣にでも入るんかい。家の中から薬一粒探せ言われても無理ちゅうもんやで」
 「いやいや」と北野は手を振って、
 「我々が直接、手を下す必要はないんだ。もっと安全確実な方法がある。助教授先生の別居中の旦那を使うのさ」
 「別居中の亭主?」
 「そう、こいつが、なかなかどうしようもないやつでね」
 北野は、氏家真樹の夫、山田克(ヤマダ・マサル)の事を話しはじめた。克は真樹より四つ年下で、要するにいい家柄のおぼっちゃまだったのだ。もともと克が真樹を一方的に見初めて強引に求愛したのだが、真樹の方も年下のどこか頼りない克に母性本能のような愛情を感じて一緒になったらしい。しかし、バリバリの新進学者と、旧い仕来りを重んじる山田家の家風がことごとく対立。さらに音羽日傘で育てられていた克が両親に逆らえるわけもなく、とうとう真樹も愛想をつかし、別居。だが、体面を気にする克側が離婚に同意していないのだった。だから、正式にはまだ氏家真樹は山田という姓なのである。その克が最近手を出した株で失敗し、親から引き継いだ会社の資金繰りに窮しているというのだ。
 「おもろいやないけ。それならいけそうやな」
 沼田は一気に酒を飲み干した。忙しなく動かす扇子の音に活気が帯びてくる。
 「そっちの件、わしに任しといて。ちゃあんと始末付けてみせるさかいに。院長はあの金髪女の方、気合い入れて最後の仕上げしてや。それがアカンかったら、真部悦子だって手に入らんようになってまう」
 「真部悦子?」
 末松が驚いて尋ねた。
 「まさか、あの弁護士の真部悦子ではないでしょうな」
 突然末松が大きな声を出したので、沼田も北野も呆気に取られて元刑事を身やる。
 「そ、そうや。女弁護士の真部悦子や。末松はん、知ってまんの」
 「知っているも何も」と憎悪に満ちた表情になり、「私が警察を追われた直接の事件を担当した弁護士ですよ」
 公安課の鬼ともサドとも言われた末松がある女性過激派に対しておこなった苛烈な取り調べが、当時女性被疑者の人権を調査していた都議会議員、阿南美代子(アナン・ミヨコ)率いるグループの知るところとなり、その一員だった真部悦子が実質的に先頭に立って、末松告発に動いたのだという。
 「阿南美代子ちゅうたら、例の真夜中の長時間討論番組なんかで男たちをぎゅうぎゅう言わせてる、あの美人か」
 「そうです。そうです。あいつら寄って集ってお国のために身を削って働いているこの私を、人でなしみたいに言いやがって。沼田さん、真部悦子が手に入ったら、ぜひ私のところに連れてきて下さい。積年の恨みをこの手で腫らしてやりたいんです。後生です、沼田さん!」
 と、末松は畳に頭をこすらんばかりにして哀願するのだった。
 「まあ、個人的な問題は後に回そうじゃないか、末松君」
 北野に諭されハッと我にかえる末松。
 「こ、これは、とんだ失態をお見せしました」
 「そや、この窮地を脱しなければ女弁護士を陥れることもできまへんで」
 三人は一息入れるように酒を飲み、料理をつついた。
 「問題は」と北野は卓の中央に置かれた週刊アイを手にする。
 「こっちだよな。それで教祖は、なんて言っているんだい」
 「はあ、ここは忍の一字だと。今はまだマスコミも世間も、たった一人で巨大な組織に立ち向かった若き美人ルポライターに判官びいきしているが、彼らにとって真実などはどうでもいいことなのだ。退屈な日常を少しでも忘れさせてくれる刺激があれば、何にでも飛び付くのであって、飽きてしまえばそれがどういう結末を見ようとも、興味などないのだ。それまで耐えるのだと」
 「それまで、の間に致命傷を負ったらどうしようもないわけだが」
 「ええ、もちろん、手ぐすね引いているわけではないので。信者を動員して、二十四時間、鳥飼あゆみのところへ電話をかけまくっているし、あゆみが陣取るホテルのまわりも監視して、内通者との接触を遮断しております。それに源谷先生にお願いして、先生の配下の週刊誌等で、機をみてあの女の中傷キャンペーンを展開する予定です」
 源谷とは表向き経済研究所の所長を務めているが、裏では企業の弱みにつけ込んで揺すりたかり、乗っ取りといったダーティな商売を働く、企業ゴロの元締めのような男である。彼の手に掛かれば小さな出版社の一つや二つ意のままに動かすなどたやすいことだった。源谷はKK教団のフィクサー的存在なのだ。
 「源谷の親父さんが出てきてくれはるなら、百人力やけどなあ。それで、この女、何者なんやいったい」
 「今、全組織をあげて、調べ上げておりますが、どうもまだ。ただ」
 「ただ?」北野と沼田が異口同音に聞き返す。
 「ただ、掲載されている写真は、この間の、N県の本部での侵入事件の際に取られたものであると考えられます」
 「あの女スパイが入ったというやつかいな。そりゃごっつい話しやわ。あそこに女一人で潜り込むなんて、並みの心臓ではでけへんことや。こりゃ、手強いでえ」
 「しかし、本当に密告者の方は大丈夫だろうねえ。この記事を読めばさ。たしかに敵さんはあまり確証も持たずに、攻撃してきたらしいけど、だいたい当たっているところが恐いぜ。これにたしかな証言者でも加わってみろ。警察だって黙っちゃいられんだろう」
 分析すればするほど、自分たちの劣勢は否めない状況に、沼田と北野は次第に弱気になっていくようだ。
 「たしかに内部の引き締めが目下のところ最大の急務ですな。不穏な人物はすべて、私のところの教化房に移しました。先生のところの女子大生もそのまま置いております。本当は、深町響子も心配なのですが」
 「響子? そりゃ、きみ、大丈夫だよ」
 北野は従順な響子の態度を思い出して即座に否定する。末松は自分の理想であるあの房が女たちで一杯になるのを夢見ているのだ。
 ああ、あの中に真部悦子や阿南美代子をしょっぴいてきて、嬲り抜くことができたら、どんなにか胸のすくことだろう。
 「ところで、この公開討論とやらには応じるんかいな」
 「いやいや、向うからの要求には一切応じませんよ。教団側ではまったく相手にしないという方針で終始する予定です」
 そうせざるをえんだろうなあ、と北野は腕組みをして座椅子の背にそっくり反った。今現在そんなことをしても、火に油を注ぐようなもの、向うの思う壷に違いない。
 北野は長嘆息した。
 「俺は、イボンヌ梨田にかかり切りにならなきゃならんし、社長は当分の間、氏家真樹の担当だからな。ひとまずここは教祖の言うとおり、静観するしかあるまい。何、二十歳を幾つか越した小娘のすることだ。そのうち、どこかにボロがでてくるさ」
 その小娘一人に、手も足も出ない自分たちに憤りながら、三人は申しあわせたようにまずい酒を呷るのだった。

 週刊アイが用意したホテルの一室で、鳥飼あゆみは目を充血させて、二十四時間鳴り続ける電話と格闘していた。取り付けられた三台の電話のうち、二台は週刊アイが派遣してきた社員が輪番で受け持っている。しかし、あゆみはローテーションを断ってこの三日間、ほとんど寝ずに応対していた。その鬼気迫る姿は、見るものを寄せ付けない迫力に満ちていた。だが、かかってくるのは、ほとんどがKK教団の信者とおぼしき人間からの嫌がらせである。聞くに耐えない暴言をあゆみに浴びせるか、いつまでも無言でいるか、どちらかで、あゆみの待っている内通者の告発はまだないのだ。週刊アイとの事前の約束で、ここを開設しているのは、二週間に限られていた。時間の余裕はまだあったが、前途に光明は見えてこない。
 (このまま、奴らの物量作戦に押しつぶされるのかも)
 何日も履き尽くしたようなジーンズに、無造作につっこまれた紺のタンクトップ。あいた若々しい胸元にうっすらと汗が光っている、ストレートの長い黒髪を面倒くさげに掻きあげながら、あゆみは時折挫けそうになる自らの心を叱咤する。
 (奴らも、だいぶ慌てているわ。この電話攻勢がいい証拠じゃないの)
 教団の中にいるであろう純粋な若者たちが、あの記事に目を開かされ、少しでも早く勇気を持って駆け付けてきてくれることを、あゆみは心から願った。そうでなければ、本当に玉砕戦法に出なければならない。しかし、その覚悟もすでにあゆみの胸の中ではできていた。あゆみは疲労で腫れぼったくなっているその顔を、鞭でも入れるかのように引き締めると、また鳴りだした目前の電話を取るのだった。
 「こりゃあッ。いい加減にせいよ。鳥飼あゆみ。他人を中傷して売名行為するとは、いい度胸してるじゃないか。このままただで済むと思うなよ。電車に乗る時気をつけろよ」「この腐れ×××女。聞いてるか。何だ、お前のあの写真。生意気そうで反吐が出るわ。女の色気、一つもないじゃねえか。お前、オカマじゃないのか」「あんたなんか何よ。いったい週刊誌からいくらもらってるの。どうせ自分で書いたんじゃないでしょう。ダミーでしょう。後に男がいるんだわ、絶対。嫌らしいわねえ。真面目に働いている私たち女の敵よ」
 受話器を置いたところを見計らって、アイから来ている若い男の子が肩を叩いた。
 「鳥飼さん、テレビ局の人が面会を申し込んできていますけど」
 「駄目駄目。私は手が離せないんだから、丁寧に断って頂戴。わかってるでしょう」
 「はあ、何度もそう言ったんですが、帰らないんですよ。なんでも真部悦子という弁護士の方の紹介だといって」
 「真部悦子?」
 あゆみは手を休めて、男の子の顔を見上げた。
 「あゆみさん」と向かいの席に坐っている、アイ側のこのプロジェクトの責任者が言った。
 「知ってる人?」
 「ええ、まあ」
 「会ったらいいじゃないの。ここは一人でも多く味方を作っていたほうが得策というものさ。それに少し、休みたまえよ。先はまだまだあるんだし、どうせそのままじゃ、いつかバーストしちゃうぜ。我々をもうちょっと信頼してほしいね」
 「御免、そういうつもりじゃないんだけど。それじゃ、後はくれぐれも頼むね」
 あゆみは立ち上がった。
 休憩室代わりに使っている一室にいくと、三十代そこそこと思われる女が一人で待っていた。
 「お疲れのようですね」
 伊勢篤子は部屋に入ってきたあゆみに名刺を差し出した。実際、化粧をしていないその手塚理美似の顔はやつれ気味で、目の下に隈ができていた。しかし眼光だけは鋭く、篤子を見詰めている。そして擦れた声で切りだした。
 「で、真部先生のところから?」
 「ええ、実は私たち、学生時代からの友人なんですよね。悦子が法学部で、私が文学部。大学祭のミスコンテストの一位と五位ってことで知合ったんですよ。もちろん、向うが優勝で、私が五位。その時、あまり悦子がちやほやされるもんで、私悔しくなって、悦子の大きなお尻を蹴り上げたんですわ。それ以来の腐れ縁なんです」
 「はあ」
 あゆみはまじまじと伊勢篤子を見た。豊富な髪には軽くパーマがかけられ、どちらかと言えば大造りな目鼻立ちと相まって、最前線で働く女性の誇りが感じられる。服装も活動的なことだけを主眼においたブラウスとスラックス。一昔前なら、こうした男性の中で伍して行く女性にはどこかギスギスした突っ張りがあったものだが、この伊勢篤子には大らかな天性の明るさがあって、それから救われているようだ。あゆみは篤子を好きになれそうだと直感的に思った。


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