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    逃亡者の母へのレビュー

逃亡者の母 の投票理由

・出羽作品のひとつの最高峰だと思う。語り部の視点を通して間接的に語られることによって、 (2015/08/02(日) 15:27/つねお)

・出羽作品のひとつの最高峰だと思う読者には必要最小限の情報しか伝えられないのだけど、 (2015/08/02(日) 15:28/つねお)

・そのために読者の想像力が極度に刺激される。それに文学的な香りさえ漂うというスゴイ作品。 (2015/08/02(日) 15:28/つねお)


芳田晃子:逃亡者の母 の投票理由

・出羽作品の聖母的存在…… (2015/08/02(日) 19:52/つねお)



  
鍛谷  2002/01/27 (日) 00:19

「逃亡者の母」は、拷問を読者に見せないことで、全体の格調を高めています。
いずれもこれまでのSM小説には少なかった味わいです。


  ヨウイチ  2002/01/27 (日)13:16

出羽健様、はじめまして、ヨウイチと申します
「逃亡者の母」を読ませて頂きました、大変感動しました、すばらしい作品です、ストーリーが非常におもしろく一字一句逃さずに最後まで楽しませて頂きました。

芳田晃子という女教師の人物像が大変好きです、正義感が強く、信念を貫き、肉体的にも精神的にも我慢強く、しかし、性格は温厚で優しい、都会的センスな女性であり、反面、セックスのいやらしさを感じさせない、まさに聖人君子のような人ですね、とても気に入っております。

主人公の「私」は、まるで自分自身のようでもあり共感します。
実際に芳田晃子の悲鳴や、泣き叫ぶ声、許しを請う声などは、最後まで聞かれず、汚れた下着、スメグマ、面接の時の晃子の表情、村長の話、そして、K部長の談話などから想像し妄想をかきたてるしかないのですから、主人公の「私」同様に自分も妄想しております、そういう意味ではこれが本当の妄想小説だったりもしますね。

外伝という形で、芳田晃子が強制的に連行されてから人権を無視されて行われた内容のストーリーがぜひとも、読んでみたいですね、特に、拷問で上げる悲鳴や、排便、排尿の様子、肛門へ指や器具を挿入するときの様子、言葉による羞恥責めなど、最後に土下座して、許しを請う姿まで克明に綴ったストーリーが読みたいですね・・・
文章中に出てきます「ちんぶ」「キンコ」なる懲罰とは、一体どのようなものなのか知りたいですね。



  鍛谷  02/01/27(日) 21:45

まず、近作「逃亡者の母」。ボードでは「格調が高い」という程度に留めましたが、純文学領域に踏み込んだ作品という気がしています。かつて高橋和己は、「邪宗門」の中で、「ありえなかった歴史」を書いていましたが、「思想部」という設定はそれを彷彿とさせます。
もうひとつ特筆したいのは、作者のサディズムへの自覚と普通の人間の仮面との間の自己嫌悪、自己蔑視、それにともなう躁鬱性、分裂性への問題、です。ここら辺の描写は、やや物足りないものがあるものの、谷崎の「卍」や「刺青」の中の葛藤した心理描写を感じました。この暗い二面性をもっと突っ込めば、現代人が抱える性の二面性に共鳴して、心理的純文学領域に楔を打ち込むことになるかもしれません。

  鍛谷   02/01/29(火) 01:53

小説の中で、理性と欲望が占める領域比というものがあるとすると、純文学小説、大衆小説、SM小説の順に、理性的な要素と性本能的な要素が変わるのではないか。それゆえに「花と蛇」は、ついに小説の体をなさず、偉大なる「物語り」でしかなかったと言えるのではないか。読者は、みずからの性欲が昂揚させられ、絶頂を迎えてしまうまで、SMの「語り」または「ストーリー」から逃れられないのだ。一度刺激されると、目の前に吊されたニンジンを食べようとする馬のように、それから気をそらすことができなくなる。この点では、すぐれたSM小説、SM物語りの魅力とは、性行為の前戯にも似ていて、やりだしたら最後までいかずにはすまないのであろう。さてそうだとすると、「逃亡者の母」という新しい試みの作品はなんなのであろうか?「体制側と反体制側との思想的な対立」、あるいは、「主人公自身の、サディズムと聖母への憧憬との、二転三転する心理的葛藤」、あるいは、「特高のような刑事、本能むき出しに近い村の男たち、それに対して果敢に抵抗する夫人」などといったテーマがからみ合っているが、ほかのものを多少捨てても、作者が強調したかったのはなんであろうか。2番目のモチーフか、あるいは3番目を前提にしたSMか。
ここでは2番目のことについて少し考えてみる。

SM小説の中には、多重人格的視点とも言うべき要素がある。たとえば「花と蛇」の中で責めている人間たち(津村、森田、鬼源、川田、千代、銀子、朱美、大塚)は、すべて作者の視点であり、化身といってもいい。が、一方で責められている人間たち(静子、京子、小夜子、文夫、美津子、美沙江など)はもまた作者の化身である。なんのことはない。作者は、自分の理想と思われる相手をどうやって責めてやろうかと必死に考え、そして責められた者の気持ちになりきって反応をするのである。それはなにもSM小説に限ったことではないが、加害者と被害者という関係を延々と続けることになっている設定なので、立場の移動が極端なのである。「どうだい、奥さん、浣腸の味は」とつぶやきながら、次の瞬間には、「ああ、も、もう、かんにんして、ト、トイレへ」などと言う相手に早変わりする。狒狒親父と清純な乙女との間を瞬時に入れ替わるのだ。それゆえにこそ夢中になって作っているのだと言うかもしれないが、考えてみればおかしな行為である。
この意味で、出羽さんの「逃亡者の母」はおもしろい。出羽さんは、団氏ほかのSM作家のように「加害者と被害者のみの舞台」のような作品もあるが、この作品では、「被害者としての晃子」、「加害者としての思想部刑事」、のほかに、「加害者に近寄りたいが立場的にできない村役場の男たち」と、「晃子を憧憬し、敬愛してやまないくせに蛇の巣にたたき落とす行為に悩む主人公」を描いている。それがこの作品を多重人格的視点にしていると言えないだろうか。
通常のSM小説と違うのは、「責め手」と「受け手」の間にいる、一般大衆的立場が描かれている点である。最後に主人公が村から出奔し、抑鬱的な気持ちに悩むのは無理はないかもしれない。
この意味で、この作品は純文学とSM小説の分岐点に立っているような気がする。SMには、サディストが同時にマゾヒストであるという側面も否定できないので、それゆえに「第三者の視点」も生まれてくるはずなのである。
多重人格的視点自体に向かえば純文学になるだろう、だが一方、責め手と受け手、さらに観衆たちの状況を強調すれば、「ある近過去的な時代の味わいをこめたSM小説」である。この作品はその両方の世界に
またがった稀有な例ではないか。


  
白川京二  2002/02/24 (日) 22:24


「逃亡者の母」は抑えた表現の中に潜むSM的官能性が好きな作品です。


  
サイケおやじ  2002/02/28 (木) 17:25

「逃亡者の母」の完全版をダウンロード、再読させていただきましたので、遅れ馳せながら感想を述べさせていただきます。
まず、こういうハードボイルド味のあるSM物が個人的には大好きですが、一人称での表現では被虐のヒロインの心の動き、妖しい心情等々を描くのが本当に難しいのではと思います。このあたりは長年筆を積み重ねておられる出羽健様ですから、流石の展開、表現力にこちらの想像力も膨らみ、簡潔な表現の中に密度の濃いものが感じられました。SM物に限らず最近のエロ系作品におけるやたらな擬音の連続使用や大袈裟な比喩の多用などに辟易していたところもあったので、非常に新鮮な雰囲気に感動致しました。これからの新作も楽しみにしております。暴言ご容赦……。


  yuyu  2002/09/14 (土) 09:32

  出羽健様

小説をずっと読ませて戴いています。
初めは「逃亡者の母」を偶然に見つけて読ませて戴きました。
余りの迫力と文章力に興奮しました。
こんなことは自慢になりませんが、かなり昔から官能小説のフアンで、古くは、団鬼六、そして結城彩雨、綺羅光、などの ファンです。
特に綺羅光は「女教師23才」のデビュー作(たぶん)から全部読んでいます。
綺羅光の作品も最近ではマンネリ化して面白みが無くなって来たように感じます。
そんなときに出羽健様の「逃亡者の母」に出会い、海猫、ブロンド弁護士、今は「正義派の妻」「乗っ取られた女学院」、などの更新を日々楽しみに待っています。
 数多くの官能作家の作品を長い間愛好してきた、批評家(笑)として出羽健様の筆力に感服するものです、江戸時代の有名な浮世絵の絵師達は枕絵も描いていましたが、出羽健様も本業の文筆業をお持ちではないかと推察しています、こんな詮索は無用ですね。
これからもリアルタッチの刺激ある作品を我々フアンのため世に出して下さい。過去の作品も読めるようにして戴ければ幸いです。


  
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